2020年(令和2年) 1月8日(水)付紙面より
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幕末の志士・清河八郎(1830―63年)が母親と一緒に近畿や中国、四国、江戸などを旅した際に記した旅日記「西遊草(さいゆうそう)」の復刻版刊行に向け、出身地・庄内町清川の公益財団法人清河八郎記念館(田澤伸一理事長)がクラウドファンディングによる目標額70万円の寄付を受け付けている。この資金調達で絶版となった岩波文庫版「西遊草」の復刻を目指す。
西遊草は、八郎が1855(安政2)年3―9月に母親と共に伊勢参りの旅を行った約半年間の見聞を記した旅日記。家族思いの八郎の人物像を知る上で貴重なものであり、訪れた土地の風景、風俗や習慣、文化を記した日記文で歴史史料として注目されているほか、前年に発生した東海大地震、南海大地震の被災地の様子も克明に記されており、地質学者の研究対象にもなっている。
八郎が母親の老後の楽しみにと書き残したものとされ、平易な文章でつづられている。原本(全8巻、県指定文化財)は同記念館所蔵。岩波文庫版は1993年に第1刷、2000年に第2刷が発刊されたものの、現在は絶版となっている。同記念館は「西遊草は黒船来航、日米和親条約締結、各地の大地震など激動の時代の歴史的事実と、その歴史に翻弄(ほんろう)される民の姿が描き出されており、史料としても貴重な内容。八郎の家族への思いやり、母への孝行が読者にも伝わり、復刻を通じて八郎の人間像を全国に発信したい」と寄付を呼び掛けることにした。
幕末の激動期、諸外国から日本を守るために「対等」な立場で交易を進めるべきと考えた八郎は、横浜の外国人居留地の焼き打ちを決行。そのことがあだとなり34歳の若さで幕府の刺客により命を落とす。八郎が組織した浪士組を母体に、会津藩による京都警護の「新撰組」、庄内藩による江戸警護の「新徴組」が誕生した。
同記念館はこれまで2回、西遊草の復刻を検討したが、資金難で見送ってきた経緯がある。近世紀行文の名品とされる西遊草を文化遺産として後世に残したいと、同記念館を運営主体に今回初めてクラウドファンディングによる資金調達に挑戦。記念館の廣田幸記館長は「悪者にされ誤ったイメージを持たれている清河八郎を、西遊草の復刻で、親思いの正しいイメージに戻したい」と話している。
今回の寄付は、インターネットで募るクラウドファンディングのサイト「READYFOR(レディーフォー)」で1月31日まで受け付ける。サイトは「西遊草復刻版刊行プロジェクト」(https://readyfor.jp/projects/kiyokawa-hachirou/)。支援金は銀行振り込み=振込先・山形銀行狩川支店、口座番号・112399(普通)、口座名義・公益財団法人清河八郎記念館理事長田澤伸一=でも受け付けている。