2021年(令和3年) 1月13日(水)付紙面より
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戊辰戦争で庄内藩二番大隊長として活躍した酒井玄蕃了恒(さかいげんばのりつね)(1842―76年)の足跡を紹介する企画展が、鶴岡市立図書館2階の市郷土資料館展示コーナーで開かれている。戊辰戦争では連戦連勝の快進撃で名をはせ、維新後は新政府の密命で中国を視察するなど世界情勢にも目を向け、幕末維新期を足早に駆け抜けた了恒の人物像と魅力を、新たに発掘された直筆の書状などで伝えている。
了恒は、藩校致道館に学んで特に詩文に才能を発揮。兵士を訓練する調練で頭角を現す一方、書や琴・笛の演奏にも長じ、文武両道の才能に周囲が注目していた。幕命による庄内藩の江戸市中取り締まりで組頭に抜てきされ、戊辰戦争では二番大隊長として新庄・秋田攻めに転戦。その強さを恐れた新政府軍から「鬼玄蕃」の異名も与えられた。
企画展は、了恒直筆の書状や同時代の周辺の人々による了恒を評価する文書など初出の直筆資料17点をはじめ、約80点を展示した。初出となる直筆の書状は2019年9月、NHKの番組「歴史秘話ヒストリア」で了恒が取り上げられたことがきっかけとなり、市内の個人宅から発見された資料が中心となっている。
このうち維新後の1872(明治5)年夏に故郷に宛てた手紙には、新政府の重鎮の西郷隆盛と旧藩主・酒井忠宝(ただみち)の海外留学について面談したとの記述があり、庄内と西郷の関わりの中で了恒が重要な役割を果たしていたことがうかがわれる貴重な資料。新政府の黒田清隆の依頼で74(明治7)年に中国を視察した際の報告書も展示されている。
市郷土資料館は「酒井了恒は庄内藩の幕末維新期で常に最前線に位置しながら、後年は世界情勢にも目を向けたスケールの大きな人物だった。そこには西郷隆盛の影響がやはり大きかったのではないか。直筆の資料などを通じて、この人物の魅力に触れてもらえれば」と話している。企画展は3月末まで開催している。
2021年(令和3年) 1月13日(水)付紙面より
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今年で開設20周年を迎える慶應義塾大先端生命科学研究所(冨田勝所長)を中核にした鶴岡市の鶴岡サイエンスパークの取り組みが、「世界が注目する『鶴岡モデル』のまちづくり」として、海外向けに首相官邸が発行している国際広報誌とインターネットのユーチューブチャンネルで紹介された。慶應先端研発の数々のバイオベンチャー企業の誕生などに焦点を当て、「新たな地方創生モデルの発信地」として紹介している。
官邸発行国際広報誌は「ウイ・アー・トモダチ(みんな友達)」と題した40ページ程度のA4判の雑誌で、2014年から年6回程度発行。各国の在日大使館などに配布し、日本のさまざまな情報を発信している。
鶴岡サイエンスパークが掲載されたのは、昨年10月発行の秋号。首相官邸国際広報室によると、国内各都市の地方創生の先進事例を紹介する特集企画の一つとして、見開き2ページで取り上げた。同室は「長期的視点で学術分野に投資を行い、バイオベンチャーが次々と生まれている。そうした持続可能なまちづくりの取り組みに注目した」と話す。
世界最大級のメタボローム解析施設を有して先進的な研究を展開している慶應先端研と、ここから誕生した腸内環境改善による病気ゼロ社会を目指すメタジェン、研究者支援の子育て施設やホテルなど幅広い事業を手掛けるヤマガタデザインなどの取り組みに触れている。
その上で「鶴岡サイエンスパークは発展し続け、雇用創出、人材育成、研究・ビジネス・観光による交流人口拡大など、さまざまな形で地域に大きな経済効果を生み出している」と紹介し、さらに「科学への関心や地域への誇りを醸成し、鶴岡の将来を担う人材の育成にもつながっている。田んぼと最先端のバイオテクノロジーが共存する鶴岡の未来がたのしみだ」としている。
首相官邸ユーチューブチャンネルでも慶應先端研やベンチャー企業、鶴岡の自然や歴史、食文化を動画で紹介。欧米のメディアを通じて各国でも放映されている。広報誌、動画とも英語での紹介で、動画はユーチューブ翻訳機能で日本語字幕での視聴が可能という。