2024年(令和6年) 12月7日(土)付紙面より
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太平洋戦争が終結したのは1945年8月15日。以来「終戦の日」になり、来年は「戦後80年」に当たる。「終戦」というより「敗戦」との言い方が当たると思われるが、年月を経るごとに、戦争の実体験を記憶にとどめる人は減った。今、団塊の世代と呼ばれる人は、終戦後の47年以降生まれの後期高齢者。もちろん戦争を体験していない。
自衛隊は世界有数の軍事力を誇るが、憲法上「軍隊」ではない。さらに日本では軍事力より政治判断が優先する「文民統制」(シビリアンコントロール)が機能している。しかし、太平洋戦争開戦前は、軍部の力が政治判断に優越していて、間違った指導体制によって不幸な戦争へと突き進むことになった。
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歴史研究家で作家・半藤一利著の『歴史と戦争』で、鶴岡市出身の石原莞爾・陸軍中将の予言に触れている。石原氏は開戦直後、大学での国防学の講義で「この戦争は負ける。財布に1000円しかないのに1万円の買い物をしようとしている。米国は百万円持って1万円の買い物をしている。そのアメリカと戦って勝てるわけがない」と語ったと記述している。
41年12月8日、ハワイ・真珠湾の米海軍太平洋艦隊基地への奇襲攻撃で打撃を与えた。しかしその後は敗戦続き。軍部は「敗退」を「転戦」と言いつくろって国民の目をあざむいた。物資不足で台所の鍋や釜など「1戸1品献納運動」という金属供出令で生活必需品まで回収、耐乏生活を強いた。もとより勝ち目のない戦争だった。
戦況が悪化する中、アッツ島で全滅した日本軍の悲劇を、軍部は「玉砕」と美化し、日本人の美意識のように語って戦意を鼓舞した。開戦から2年後には雨の神宮外苑で学徒約2万5000人の壮行式があり、東條英機首相は学生を「国の宝」と呼んで有為な人材を戦地に送り出した。軍部には、人の命を尊ぶ意識など全くなかった。3年8カ月に及んだ太平洋戦争で、日本の犠牲者は軍人、民間人合わせて約310万人、東南アジア諸国では2000万人とも語られる。
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世界ではウクライナに侵攻するロシア、中東では国家間の紛争や内戦が続いている。ロシアは北朝鮮の兵士を前線に送っていると言われる。自国の兵士の死傷者が増えれば国内の反発を招く。政治批判から国民の目を反らすための作戦という。軍部の指導者は人を人とも思わない。戦争は人を鬼に変えてしまうということであろう。
臨時国会では防衛予算の論戦も交わされた。自民党は憲法改正で自衛隊明記を議論し、野党は反対の姿勢だ。しかし日本周辺では領海・領空侵入などの穏やかでない他国の動きが頻発している。専守防衛の力は保持しなければならないとしても、平和外交で争い・紛争のない世の中を目指すことこそが肝要ではないだろうか。