文字サイズ変更



  • プリント用表示
  • 通常画面表示

郷土の先人・先覚145 酒田の運送業界をリード

根上善造(明治13-昭和25年)

根上善造氏の写真

根上家は36人衆の1人として代々本町に居を構え、酒田町組の町政に尽力した家柄。回船問屋を営んでおり、根上善造は父・善兵衛の長男として明治13(1880)年、本町六丁目に生まれている。ところがここは根上家が住んでいたので、俗称・根上小路ともいわれ、家柄の古さが知られる。

大正3(1914)年、陸羽西線開通とともに酒田駅前で運送業をはじめ繁盛したが、戦争の拡大により運送店も企業統制となって、一駅一店に削減された。

経済の動向をよく知り、運送業界をリードして一躍名をあげたのが、農林省所管である国立倉庫の政府米輸送を一手に引き受けて活躍したとき。酒田の根上善造といえば中央でも名が通ったという。

その後、両羽無尽監査役、丸通自動車社長、日本通運酒田支店長、港運会社取締役などを歴任。実業界、特に運送業関係で手腕を発揮した人で、その人望を買われて昭和23(1948)年には8代目の商工会議所会頭を務めている。根上家では12代目の当主。趣味としては歌舞伎通であり、上京のたびに歌舞伎見物を楽しんだという。

次に大変興味のある話があるので触れてみる。

最上川舟運の盛んだったころ、回船問屋の若主人だった善造は、山形の豪商・中村喜兵衛と親交があり、盆と暮れの集金には中村家に長逗留してお世話になったという。根上家ではそのお礼に、年末になると「酒田ずし」を毎年送っていて、中村家では「善造さんは律儀で堅い人だった」と語られている。

ある春、雪解け水の多い最上川で、彼の発案で山形、酒田の両商工会議所議員らが、本合海から草薙まで舟下りを楽しんだことがある。その舟の中で善造が語ったのが、近江国の大店「西伝」の内儀お峰と千代甚吉の物語である。

お峰はなかなかの美人で、酒田に着いて山形の出店に行く途中、根上家に一泊しているが、それから1カ月後にお峰と甚吉の心中事件が持ち上がり、哀れにもお峰は水死、甚吉だけは辛うじて助かっている。

やがて時が経ち、事件のあった草薙付近の川べりに誰が建てたか観音さまが見られた。私はここを通るたびに手を合わせたと語った。だが、その後最上川の洪水で観音さまも流れに没してしまったという。

こうした舟の中での話を元にして、小説「最上川一夜観音」が中村喜兵衛の子息・孝太郎によって書かれ、その縁で2代目「一夜観音」も草薙の舟着き場近くに建立された。善造は昭和25(1950)年6月に69歳で亡くなった。

(筆者・荘司 芳雄 氏/1989年5月掲載)
※原稿中の地名や年などは紙面掲載当時のものです。

プロフィール

根上 善造 (ねあがり・ぜんぞう)

明治13年10月9日酒田市本町に生まれる。根上善兵衛の長男。陸羽西線の開通に伴い酒田駅前で運送業を始め、国立倉庫の政府米を一手に輸送した。その後、西羽無尽監査役、丸通自動車社長、日本通運酒田支店長、港運会社取締役など歴任。昭和21年に酒田商工会議所副会頭、23年に8代目の会頭に就任し活躍した。昭和25年6月26日、69歳で死去した。

トップページへ前のページへもどる
ページの先頭へ

Loading news. please wait...

株式会社 荘内日報社   本社:〒997-0035 山形県鶴岡市馬場町8-29  (私書箱専用〒997-8691) TEL 0235-22-1480
System construction by S-Field