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郷土の先人・先覚251 貴金属精製業務に貢献

小松原久治(明治25-昭和42年)

小松原久治は飽海地方初の工学博士といわれている。

大阪市にある大蔵省の造幣局で作業部試金場長として勤務中の昭和6年、主要論文の「金銀の電気分解について」と、参考論文として「電解銀結晶の原子配列について」を京都帝国大学に提出している。

昭和6年7月の京都帝国大学工学部教授会は、小松原の博士論文を満場一致で通過させ、同年9月22日工学博士の学位を授与している。8年にわたる研究の努力が実を結んだものであった。

論文の大意は、金銀を電気分解で精製する時、精製金と精製銀の品位に高低ができる。小松原は製品の品位を低くする原因の一つに、物理的なものがあることを論じ、その改善を案出したものといわれている。

小松原の研究と努力によって、造幣局では金銀の品位を従来より高め、時間や労力などを3分の1ほどに減少させることができた。それに従来夜間は容易に作業ができなかった電気分解なども、小松原が考案した自動補液措置によって、放任したまま少しの人でもかけずにできるようになり、昼夜共に作業ができ、国の利益増進に多大の功績があったとされている。

小松原の研究には「電気分解に関する工業的実験」「造幣局における酸及びアルカリ工業」などもあり、金銀の電解精製などについては、画期的な研究・改善を行い、造幣局における貴金属精製業務の発展に多大な貢献をなしている。

小松原は南平田南部尋常高等小学校高等科、酒田商業補習学校、庄内中学校を卒業。大正3年9月、名古屋の第八高等学校二部甲類に、同6年9月には京都帝国大学工科大学工業化学科に入学している。

大学卒業の年の大正9年7月、大阪の大蔵省造幣局に勤務、昭和10年には欧米出張となり、試金部長、造幣局研究所長などの役職を経て、同24年6月造幣局一筋の道を退いている。

(筆者・須藤良弘 氏/1991年9月掲載)
※原稿中の地名や年などは紙面掲載当時のものです。

プロフィール

小松原久治(こまつばら・きゅうじ)

明治25年10月30日、南平田村桜林・小松原与五郎の四男として生まれる。小松原家は古くから代々肝煎役を務めていたこの地方の豪農であった。小学生のころ、物事に無頓着で無言であったが、豊かな天分に恵まれていた。4人兄弟ともに優秀で、とくに二男の重治は東京帝国大学卒業後、医学博士となり、酒田本町で白崎医院を開業した。久治は昭和42年1月17日に亡くなった。

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