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郷土の先人・先覚324 農民福利に数々の功績

早藤八二郎(明治27-昭和36)

出羽富士といわれる鳥海山と、穀倉地帯で知られる庄内平野の恵まれた環境の地、西荒瀬村元泉(現・酒田市)で早藤八二郎は生まれ育ち、生涯農業を営むとともに、推されて数々の役職に就き、農政や地方自治に貢献した人である。

また鎮守の『和泉神社誌』によると、大正11(1922)年早藤八二郎の名で御神宿を務めていると記されており、敬神な人であった。また頼まれれば後に引けぬ、直情径行の人柄であったという。

特に農業関係の役職では、日光川水害予防組合、新井田川水害予防組合、豊川堰水利組合代議員、大町溝土地改良区総代などを務め、稲作の生命ともいわれる疎水事業に精魂を傾けている。その他、北部農業協同組合監事、北部農業委員、市農業共済組合総代などを歴任して、地域農村の経済発展と、農民の福利を念頭に努力している。ほかに選ばれて地方議員となり、地域発展の要となって活躍している。

議員歴は大正10年から昭和13年まで西荒瀬村会議員を務め、同16年同村の一部が酒田市合併となった翌17年に酒田市会議員となり、同34年まで連続5期当選を果たし、いつも上位の座を占めている。これも人徳のせいであろう。

政府はこうした長年の地方自治に尽くした功労者に藍綬褒章を贈る。山形県からは2人で早藤八二郎もその栄に浴し、昭和35年10月19日、首相官邸での伝達式に出席したと新聞に報じられている。

そして翌36年11月には皇居内で行われた「園遊会」に長年地方自治繁栄に功労があったとして山形県からただ1人招かれて、晴れの出席をしている。こうした栄誉は、数々の要職に就き幾多の問題を克服して、地方自治や行政発展に積極的に協力した賜である。

だが「園遊会」に招待され参会のあと、千葉県柏市の親戚に滞在中、不幸にも病気になり、高潔な人柄と数々の功績を残し、地区民に惜しまれて亡くなった。

(筆者・荘司芳雄 氏/1995年7月掲載)
※原稿中の地名や年などは紙面掲載当時のものです。

プロフィール

早藤八二郎(はやふじ・はちじろう)

西荒瀬村元泉(現・酒田市)で明治27(1894)年1月に誕生。当時の元泉は稲作を主とし、ほか畑作と果樹を営む農村地帯であった。

八二郎はこうした先祖伝来の農業を守り汗した。ほかに公共の場でも農村振興に努力し、また議員としてもその手腕を発揮して職務を果たしている。

曲がったことが嫌いで明治堅気の豪気な半面、心に染みる温かさがあったという人間性が、多くの人に親しまれたゆえんであろう。没年は昭和36年11月12日。享年67歳。

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