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郷土の先人・先覚351 「真心の仏教」実践

大宙宗雄(明治37-昭和60)

持地院三十七世龍州宗淵は日本一の立像酒田大仏を建立した傑僧であった。その長男・大宙宗雄は、父の教訓と母の愛情を受けて成長し、卓越した宗教家であった。

大正14年、駒澤大学在学中上田村長川寺住職拝命、昭和8年、持地院三十八世住職に転住した。前住職時代は酒田地震、火災、それに前掲した酒田大仏の大事業などで辛苦したという。

宗雄は父の残した伽藍内の仏像や仏具の整備と、先代からの悲願であった社会福祉事業に精魂を尽くした。

宗淵が開設した孤児園が廃園の止む無きに至ったので、宗雄は父の残した慈悲の精神を引き継ぎ、昭和30年、宗淵23回忌の記念事業として、宗教法人・若草幼稚園を創立し、父の念願に応えている。

青年時代は軍務に服し、盛岡騎兵連隊に入隊して幹部候補生、その後騎兵少尉に任官。太平洋戦争では召集を受け満州に出陣して、昭和18年騎兵大尉となり、終戦で帰還の際は軍馬を頂戴したという。

幼いときから動物を飼育することが好きで、頂いた馬を大切に育て、月忌や法事には馬に乗り檀家回りをしたという話や、月忌帰りに慶弔のあった人や生活の苦しい人に会うと、頂いてきたお布施を分け与えたという、思いやりのある逸話が伝わっている。

昭和40年に発行した『若草幼稚園十周年記念誌』には「(前略)昭和八年以来のもので父の遺言であったが、その財源は極めて困難私たち親子は工事費節約のため人夫に交じり働き、開園はしたが死にものぐるいで銀行を回った」と記している。だが、その努力が実を結び、今では県内でも屈指の幼稚園に成長している。

昭和54年、宗雄が寺院住職50年の表彰状を受けた祝賀会の席上では「(前略)前住職の遺業は大よそ成就した。だが強制供出を命じられた大仏のことで悩んでいる。これからの余生は大仏再建に全力を尽くしたい」と決意を語っている。だが、自分が依頼した大仏の原型を心待ちにしながら、ついに見ることなく80歳の生涯を終えている。

大仏再建はその後、平成3年に銅造大釈迦牟尼如来像が旧大仏跡に見事に再建され、松の緑と青さの中に燦然と輝いている。

宗雄の仏教観はただ死者への供養だけでなく、生きる多くの人たちにも分け隔てなく奉仕し、真心の仏教を実践した宗教家であろう。

(筆者・荘司芳雄 氏/1998年1月掲載)
※原稿中の地名や年などは紙面掲載当時のものです。

プロフィール

大宙宗雄(だいちゅう・しゅうゆう)

明治37(1904)年に長男として誕生。義務教育を終え、先代の曹洞宗第二中学林、その後、駒澤大学、同大学院卒業、学生時代は旅行もせず寺の仕事に従事して両親を助け孝行を尽くした。

寺院の事業としては昭和9年酒田大観音、同46年位牌堂建設、同47年檀信徒会館「吉祥閣」落成。また、幾多の増改築や寺内の荘厳具などで、寺院内外を整備した。

管内では布教師として活躍。その後、大本山永平寺と総持寺で副監院に就かれた。昭和60(1985)年他界。

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