「うらなり与右衛門(1)」 からのつづき
さて、「うらなり与右衛門」の主人公は、剣の腕前や落ち着いた人柄を見込まれて、60石の家から100石の家の一人娘の婿になる。その婿入り先の三栗家の親たちも娘の多加も与右衛門の見かけには惑わされず、その人柄のよさを見込んだのだが、世間の人はそうは取らなかった。「うらなりのくせにうまいことをやりおった」としか見ないのである。人は隣人の幸福を祝いたがらない、不幸に対しては同情したふりをして心に優越感を抱き楽しむものだ、という心理の動きを、芥川龍之介は『鼻』で描いている。与右衛門も世間の人々の冷たい視線の中で黙々と仕事をした。
しかし、与右衛門の剣の腕前を忘れず評価し(利用し)た人もいた。藩政の中心にいて旧態を変えようとしている男、中老の長谷川志摩である。藩は今、幕府から社寺修繕の国役を命じられていた。藩は以前からの借金をようやく半分返したところで、貯(たくわ)えが全くないのである。2万両ほどかかる国役の費用を借金するしかない。今までは江戸商人から高い利子で借金をしていたが、中老の志摩はその線を断ち切って、他から借りたいのである。筆頭加藤の平松一派は江戸商人と結託しており、当然のごとく賄賂(わいろ)をせしめていた。平松派に内密に、志摩は京都商人に借金を申し入れたのである。京都商人と正式の契約を結ぶ場所は港町「藤ノ津」の陣屋。京都から津軽まで商用で行く途中、藤ノ津で船を下り、海坂(うなさか)藩の中老と契約を交わす段取りであった。その志摩中老の護衛役は2人で、1人は与右衛門、もう1人は中川助蔵という若い男だった。中川は一刀流の遣い手である。城下を流れる小さい川、松川の舟着き場から小舟に乗り、すぐ大きい馬曳(うまひき)川に出る。馬曳川は港町藤ノ津のすぐ傍らで海に入るので、舟便の方が早く着くのである。城下から藤ノ津までは北西へ4里の道のり。
ところが与右衛門の護衛役は思わぬ事件のため出番を失ってしまった。中川助蔵は果敢に戦って討ち死にをする。志摩と京都商人との契約は無事に済み、反対派の平松一派は一掃され、藩政は揺るぎのない状態になった。与右衛門が自分を陥れ、助蔵を殺しながらも証拠を消したために生き延びている男・伊黒半十郎に、どのような決着をつけるか、後半のヤマ場である。相手に「うらなり」と呼ばせ、激昂(げっこう)させて先に刀を抜かせ、正当な理由で斬(き)り合いをして仇(あだ)を討った与右衛門は、自分の渾名を逆に利用したわけで、深謀遠慮というべき策戦であっぱれである。
藤ノ津は酒田、馬曳川は赤川、松川を内川と読みながら楽しみたい物語である。