女性にも、このようなタイプの人間が登場します。例えば、『泣くな、けい』という短編小説があります。この「けい」という少女は、ある武家の屋敷に奉公している女中なのですが、この家の主人が預かっていた藩主の宝物の短刀を紛失してしまい、切腹するしかないという窮地に立たされるのです。その主人を救うため、たった1人で北国から江戸までの道を往復し、刀をとり返してくる、という話なのです。少女が汗と埃で真っ黒になって帰宅し、主人の顔を見た途端、緊張と不安・恐怖などから一気に解放されて号泣する場面がかかれています。無口で、黙々と台所仕事をしていた少女、主人の奥方に時々いじめられていた少女が、命がけで大胆な行動をとる、これは簡単に「献身」という2文字では片付けられない生き方ではないでしょうか。このような女性像は藤沢作品に多く登場します。先に挙げた『用心棒日月抄』に登場する佐知という女性もそうです。物静かで、自分をあまり主張しないが、いざ、というときには火となって燃える、このようなタイプの人間は古くさいのかもしれません。消極的だとマイナスにとらえる人もいることでしょう。
しかし、青江又八郎にしても、けいにしても、ひたすら耐え、誠実に生きることで自分の運命をも変え、周りの人をも救っていくのですが、もしかしたら庄内人の美徳はこんな点にあったのではないでしょうか。今の世の中から失われたもの、それは「耐える力」だと思うのですが、これを気付かせてくれるのも、こうした藤沢文学の魅力のひとつではないでしょうか。
楽しく読んでいるうちに、人間の生き方について深く考えさせられる、これこそ小説を読む醍醐味であり、藤沢さんの作品はどれを読んでも、その魅力を味わわせてくれます。まだ他にも魅力はたくさんありますが、今回はひとつにしぼってお話しいたしました。何よりも是非作品をお読みいただければ納得いただけると存じます。
(1997年4月 鶴岡ロータリークラブ講演より)