藤沢周平さんは鶴岡市の郊外の農家に生まれ、26歳までそこで暮らしました。途中師範学校に入るため山形市に行きましたが、生活の基盤はその鶴岡の家にありました。その生まれ育った家や周囲の環境は、『蝉しぐれ』の舞台設定にとても似通っております。例えば、主人公の牧文四郎が養子となった家は、30石未満の下士の身分でありますが、その屋敷は300坪もあって、欅・楢・かえで・朴(ほお)の木・すももや辛夷(こぶし)の花が咲き、生け垣にはムクゲの花が咲く。屋敷の傍らには清流が流れている。菜園には茄子が植えられていて、主人公の文四郎がその茄子畑に水を汲んで水やりをしたり、隣の家のふくが洗い物をしたりしている。この風景は藤沢さんが生まれ育った家の周辺そのものの風景だったといわれます。藤沢さんの故郷に寄せる想いは『蝉しぐれ』をはじめとする「海坂」ものに色濃く投影しているのです。それというのも、藤沢周平さんは結核療養のため上京して以来、故郷に戻って生活することができませんでした。東京に住み慣れ、東京でお亡くなりになりましたが、「心はいつも故郷の方に向いていた」とご自身でもおっしゃっていらっしゃいますように、望郷の念は人一倍強かったようです。そのように藤沢さんが愛してやまなかった故郷の町や村を皆様にも是非一度訪ねて下さり、その目でお確かめくださいますよう。
(新座市立栄公民館講演より)