この事件から1年後、昌江の毎日は再び平穏で変化の乏しいものである。しかし、昌江の心情は1年前と異なり、満ち足りている。1つ目の理由は、ほとんど諦めかけていたのに子供が生まれたことである。2つ目は夫が意外にも頼もしい男だということがわかったことである。3つ目は、平穏で何事もない日常の有り難さが身に染みたこと、であろうか。昌江はこうして安定した妻の座にどっしりと根をおろすのである。平凡だけれどもそれが暮らしというものだ、夢は夢だけでよい、と悟ったのであろうか。こういう幸福感を妥協とか、あきらめ、と呼ぶのかどうかは、人それぞれであろう。
このように2人の幸せな女を挙げると、人間の幸・不幸ほどわからないものはないと思う。人の心のありようで幸・不幸が決まるといった単純なものではない。人の力では及ばない運命に翻弄されることもある。江戸時代においては特に個人の力で自分の人生を切り拓くことが困難だったから、なおさらである。そういう人間存在の深淵(しんえん)を見つめている作者の深い眼差しを、こうした作品からも感じられる。