この万次郎が土屋家の崩壊の因となるのであるが、作者は万次郎がぐれた理由を確とは言っていない。放蕩生活に嵌ってしまって、後戻りできない1人の青年の暗い運命を切ってみせるだけである。もろくも崩れ去る家庭、暗い情念に駆られ破滅へとむかう人間の弱さを深く抉った作品であろう。
海坂藩からは離れるが、江戸の町人を主人公にした作品にも、家庭崩壊の様相が多く描かれている。江戸の庶民、とりわけ長屋住まいの家庭は働き手の病気や死によって簡単に崩れる。貧困や災厄と隣り合わせの毎日だからである。しかし、何ごともなく、平凡に生きている夫婦にも亀裂の因が芽を出す。裕福な商人の跡取り息子もぐれたりする。『父(ちゃん)と呼べ』の場合は一人息子が博徒になってしまって身を持ち崩し、老夫婦の侘しさが克明に述べられている。『氷雨降る』は裕福な小間物屋の主人なのに、その家庭は半倒壊状態である。『本所しぐれ町物語』も似たような設定の家庭が登場し、今でいう家庭内離婚状態の冷え切った夫婦の心情が描かれている。他にもたくさんあるが、『海鳴り』はそれらを代表する作品といえよう。『海鳴り』は、主人公・小野屋新兵衛の家庭はもちろんのこと、登場する人々のどの家庭も何かしらの傷を抱えている。
その一つひとつの崩壊の様相は現実味を帯びていて、現代の我々が抱える人間関係や家庭の諸問題を否応なしに照らして見せてくれている。藤沢作品が時代小説という形をとりながら、実は現代に生きる人間を描いているといわれるゆえんがここにもある。