もう一つの読みどころは、新田開発にまつわる話であろう。膨大な借金を抱えた藩の財政を立て直すために腐心する為政者がいて、それに伴う事業だの改革だのに振り回されて苦しむ人民がいる。幕末のころは、どこの藩も似たような状況だったという。『風の果て』の新田開発は、大櫛山という山の裾野である。大櫛山は城下の東にそびえていて、別名を朧月山とも呼ばれる美しい山である。その裾野に太蔵が原という広大な荒地が眠っている。水を引くことができれば、そこには5000町歩の田畑が新たに拓けるだろうといわれ、過去に幾度か試みられた。その試みに、最後に成功したのが桑山又左衛門なのである。又左衛門が義父の孫助に出会ったのもこの太蔵が原だった。当時まだ上村隼太といった若者は、ずっと太蔵が原の開墾の夢を見続け、その夢を実現させると同時に出世の階段を登ってゆく。夢の実現には1人の町見家(測量技師)との出会いがある。町見家はまだ若い田口という男で、オランダの技術を学んでいた。彼は「ここに間歩(まぶ・隧道)を引けば」水が引ける、と言う。その言葉通りに山の高いところから取水し、間歩を通した堰の水は荒地を畑や田に変えたのである。この大櫛山を月山に、堰を天保堰に重ねて読むと、この大工事が成功した時の人々の喜びが実感として伝わってくる。鶴岡市櫛引地区のたらのきだいに住む友人は、子供のころ天保堰で泳いだものだという。恵みの水は、遠い裔(すえ)の子供たちにも遊びの場を与えてくれていた。また年寄りに聞くと、天保堰を作ったときの測量の様子が語り伝えられているという。
さらにこの大工事の費用を請負ったのは藩内の富商で、やがて大地主になってゆく男である。『暗殺の年輪』にも登場してくる大地主の存在は、藩の上層部の人々をして「殿様が二人いるようだ」と危惧せしめ、そのことが権力抗争の形となってつぶし合う事件を生む。『風の果て』の主人公、桑山又左衛門もそんな運命を予感し、風の吹く荒野に立っているような孤独感を味わうのである。権力の甘い蜜の味は、その代償として又左衛門を独りぼっちにしたということだろうか。