5月の最上川は雪解け水で水かさを増し、流れは渦を巻くように激しく急峻になる。水の色も土砂でにごったように水色をすっかり失っていた。
今年の1月、ロケ地を探しにきた山田監督がぽつりともらす
「今度の映画は最上川から始まりますからね」
ファーストシーンが最上川の舟着き場という設定はしかと決まっており、どの辺りにするか、ハンティングに来たのだった。
「渡し舟を用意してね」
すべての段取りを整え、撮影開始になるのは2月なので、最終の確認であった。まるで修学旅行の予定表を組むみたく、どこで移動し、誰が出演して何日泊まりになるか、荷物はどうやって運ぶかなど細かく書かれており、クランクインからアップまで時間のレールが敷かれてあった。
私は門外漢なのでその1つ1つが物珍しく、彼らのやりとりを聞いているだけで楽しかった。
「K君はどうすんの」
不意を突くように監督が尋ねると、即座に
「先へ行ってて、合流します」
全体の予定表と平行して個人のスケジュールが決められており、忙しい女優さんや配役の日程は拘束できる期間を、前もって約束してあるらしい。
だから時刻表通りに進行しないと、大変なことになってしまう。
「違約金問題ですよ」
と言いつつ、そういう例はほとんどないのが山田組の誇りらしく、安定した監督のもとで手練の仕事をしてきた自信がのぞいていた。若いプロデューサーの山本一郎氏は
「私は監督とのつきあいが浅いので、怖いですよ。みんな長いですもの」
20年、30年組が居並び、癖や勘どころや好みや性格を知り尽くして、脚本を広げればどんな注意が飛ぶか、大方の予想ができるらしい。
「でも、前はもっと怖かったですよ」
と、言う人の方が多く、渥美清さんが亡くなってから監督自身が
「丸くなりましたよ」
そんな噂も聞く。一体に結束が固く、まるで身内のように打ち解けているが、仕事はキビキビして、撮影中は神経がぴんと張り詰め、慣れているのになれなれしくはない。不思議な集団である。いつもは穏やかな話しぶりで伏し目がちな監督も、現場ではふんわりとしたお髪(ぐし)を無造作にかきあげ、声をいからして声高に叫ぶ。
「そこじゃ駄目、見えないよ。もっと早く。そうそう、その調子で前へ」
厳しいなんていうもんじゃない。言葉のムチが飛び、現場全体に現在進行形のアラームが鳴る。
このたび番小屋の見張りだった小者が鍵を奪われ、牢破りをされたあと、城下に知らせるくだりが羽黒町で撮影された。
坂道を転がるように下りる小者の必死な姿を声と一致させるため、何日かのテストが行われ、声と動作がぴったりゆかないので、声を別にとった。その場合でも山道をずり下りてくる切迫した声の感じを、実際上り下りをしてもらう。息切れたせわしさと、悲痛な絶叫音は心拍に関係してくるからである。
「OK」のサインはそこへ集中した。