ほとんど前面に出ず、だがなくてはならない存在の人はいるものだが、それが表面からはなかなか分かりにくい。山田組でいえば峰須一さんだ。
「彼は何をする人」
と、聞かれても正確には答えにくいのだが
「監督の精神安定剤」
と、言われてみればスタッフ全体の調整役とでも訳せば良いのだろうか。
監督とはつかず離れず、時間測定やお天気、出演者への気配りと、すべてのクッション役をこなす、かなり高齢な方だ。
「この天気は明日までですからね。急がないと」
そっと耳打ちするように、時々必要な事柄を言葉少なに言うだけで、コテコテした言い方はしない。あっさりして形は整っているのに、色彩を出さない素焼きのような人だ。役職は制作担当。
現場のロケで丸々手が空いているのは彼ぐらいなので、よく私は傍らに座り、カット割りの解説をしてもらった。
「この前半は京都で撮っているんですけどね。松たか子さんのスケジュールが2月までと制限されていたので先に撮り終えたのですよ」
物静かで、丁寧でトゲトゲしいところがない語り口も時代劇にあっているが、監督との付き合いは相当に長いらしい。
決して複雑なことを言わず、単純に翻訳して優しく伝える技術に私はほとほと感心した。
気負わず、肩肘張らず絵空事でないリアリティを表現するため、監督が苦心している一場を後方支援しているような日本の自衛隊に似た立場なのだ。各自が走り回っている中に峰さんは座り続け、映画づくりにはこうした老成した見回りの役が必要であるらしい。
「シーン64行きまーす」
台本にそってカット割りの番号がふられており、録音や編集の時に間違いなく整理され、確かめられる。峰さんの仕事は映画が所要時間に収まるように…、
「何分オーバーしています」
とか、現在進行中のフィルムの長さを計算する。
「でも編集の時、監督は思いきりよく切りますからね」
と、監督の度胸をたたえていた。われわれはああゆきませんよ、とほのめかし、信頼の眼差しをそらさずに向けている。
いろんな監督の手法を知っており、現場経験が板についている彼はとっさの判断とか、選択をする場合の助言者となる。
ざわざわと騒々しいロケでは誰か1人、裸眼で見ている人間がいるのだ。
カメラが中心になり、VTRビデオで点検するだけでは1時間後の雲の流れまでは予測できない。
「あと20分もすれば晴れるでしょう」
読みが的中して、監督もほっとした表情になり
「おれも思っていたが、その通りだったね」
と、胸をなでおろした。
そして、ベテランのカメラマン長沼六男さんは再びカメラにしがみつき、撮り慣れた絵を
「いい感じでしたよ」
と、総評した。女優、俳優、雲の表情まで撮り尽くしている長沼さんが
「ぼくも泣けてきましたよ」
と、言ったのが前回の「たそがれ清兵衛」だった。良い映画は現場をも泣かせるものなのである。