1927(昭和2) | 旧黄金村高坂(現・鶴岡市高坂)に生まれる | |
1934(昭和9) | 青龍寺尋常小学校(昭和16年に黄金村国民学校と改称)入学 | |
1940(昭和15) | 小学校を卒業し、高等科に進学 | |
1942(昭和17) | 県立鶴岡中学(現・鶴岡南高校)夜間部に入学 昼は印刷会社や黄金村役場で働く | |
1945(昭和20) | 終戦を迎える | |
1946(昭和21) | 鶴岡中学夜間部卒業。山形師範学校入学 | |
1949(昭和24) | 師範学校卒業後、湯田川中学へ赴任 | |
1951(昭和26) | 集団検診で肺結核が見つかり、新学期から休職 | |
1953(昭和28) | 2月に上京。篠田病院に入院 | |
1957(昭和32) | 11月退院。業界新聞社に勤務する | |
1959(昭和34) | 結婚 | |
1963(昭和38) | 小説を書き始める。2月に長女誕生、10月に妻と死別 | |
1969(昭和44) | 再婚 | |
1971(昭和46) | 『溟い海』で第38回「オール讀物」新人賞受賞 | |
1973(昭和48) | 『暗殺の年輪』で第69回直木賞受賞。最初の作品集『暗殺の年輪』を刊行 『ただ一撃』『又蔵の火』など執筆 | |
1974(昭和49) | 鶴岡市主催の講演会で講演 | |
1975(昭和50) | 『時雨のあと』『冤罪』『秘密』『龍を見た男』『竹光始末』など執筆 | |
1976(昭和51) | 『雪明かり』『三年目』など執筆 『橋ものがたり』『隠し剣シリーズ』『用心棒日月抄』を連載 | |
1977(昭和52) | 『春秋山伏記』『回天の門』『一茶』を連載 | |
1979(昭和54) | 『驟り雨』『泣かない女』など執筆 取材旅行などを重ねながら多くの作品を発表 | |
1984(昭和59) | 慢性肝炎が発症。通院が始まる | |
1985(昭和60) | 『三屋清左衛門残日録』など執筆 | |
1986(昭和61) | 1月に直木賞選考委員として初の選考会に臨む 4月には『白き瓶』で第20回吉川英治文学賞受賞 鶴岡市主催の講演会で講演。『蝉しぐれ』など連載 | |
1988(昭和63) | 『祝い人助八』など執筆 | |
1989(平成元) | 第37回菊池寛賞受賞 | |
1990(平成2) | 『秘太刀馬の骨』など執筆 | |
1993(平成5) | 『漆の実のみのる国』など連載 | |
1995(平成7) | 紫綬褒章受章 | |
1996(平成8) | 20期11年務めた直木賞選考委員を辞任 鶴岡市湯田川に藤沢周平文学碑建立 | |
1997(平成9) | 1月26日、都内の病院で死去。享年69歳 |