「水の恵み(1)」 からのつづき
『風の果て』という長編小説にもやはり新田開墾と、それにまつわる人間ドラマが書かれている。大櫛山という山の麓(ふもと)に広がる台地、太蔵が原を開墾しようと、幾人もの男たちが挑戦するのであるが、肝心の水を引く術(すべ)がなく挫折(ざせつ)する。
「大櫛山はその山脈のほぼ中央、城下から見ると真東にあって、山脈の主峰だった。描いた眉のようになだらかな山型がうつくしい山だが、いまその頂が赤い櫛の背のように、虚空にただよいうかんでいるのだった。」
大櫛山は別名を朧月山といい、海坂藩の東の山脈の主峰である。この山はほとんど月山のイメージである。眉(まゆ)や櫛(くし)のように見えるのは内陸から見た感じではあるが。この山の裾野(すその)には雑木林に覆われた、滋味豊かな地が眠っている。養父の遺志を継いだ主人公の桑山隼人は、すぐれた町見家(現在の測量技師)と共に高い所からの取水に成功する。「ここに間歩を引けば」という町見家のことばが出てくるが、間歩とは隧道(ずいどう)のことで、江戸時代の技術ではさぞかし難工事であっただろう。やがて五千町歩にも及ぶ新田が開かれ、桑山隼人は郡奉行から郡代へ、さらに中老に昇進する。名も又左衛門と改め、最期は執政を握る。海坂藩の主人公としては珍しく権力側にいる人間が描かれている。
このような物語を読むと、青龍寺川・越中堰・天保堰などを掘ったときの先人の苦労のほどがしのばれ、頭が下がる。天保堰は『風の果て』と同様、月山の麓の高みから水を引く大変な難工事だったという。今、美味な米がとれるのも、百年、二百年の先を考えて苦心した先人のお陰である。藤沢さんは水を汚す現代人への警鐘を鳴らしてもいる。