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郷土の先人・先覚2

須佐 寅三郎

須佐寅三郎氏の写真

須佐先生は明治23年12月10日、西田川郡西郷村馬町のお生まれ。庄内農業学校卒業後、東京の正則英語学校で英語を学び、明治45年渡米、主にカリフォルニア大学で園芸学を勉強された。そして大正4年4月に帰国され、6年から北海道帝国大学農学部研究生、同10年副手となり、園芸学の研究補助の仕事をなされている。

また、大正13年、農商務省の海外実業講習生として再渡米し、カリフォルニア大学及びコーネル大学でリンゴの結実生理の研究に没頭された。そのかいあって、同15年コーネル大学でマスターの学位を授与された。

その後も米国にとどまりニューヨーク市立植物園の研究生となり、植物不稔性研究の権威スタウト博士の研究助手としてカンゾウの品種育成などに従事し帰国された。

さらに昭和2年には3度目の渡米をされ、10月に青森県農事試験場園芸部主任技師となられた。ここでは先生の体得された園芸学の知識がおおいに活かされたが、昭和6年、民間の寄付によって創設された青森県りんご試験場の初代の場長となられてからはいっそうその独創性が発揮され、わが国リンゴ品種育成の端緒を開かれた。

リンゴ試験場長から三本木農学校長を経て昭和23年山形農林専門学校に移られた先生は、以後、亡くなられる昭和26年まで山形大学農学部教官として果樹園芸学の教育研究に力を注がれた。

先生の御功績の中で最も輝かしいものは、リンゴ新品種の育成であろう。日本にふさわしい品種を作ろうというので、当時としては画期的な「交配不和合現象」を理解克服した上での交配計画が立てられた。

その結果、甘酸適和したすぐれた食味を持つ優秀品種「陸奥」をはじめ、多数の日本型リンゴの新品種が育成された。これらは昭和23年の日本園芸学会において発表され、同24年に農産種苗法による名称登録がなされた。この時誕生した新品種は今日でも内外で好評を得ている。

毎年カンゾウの花の季節が訪れると須佐先生の思い出がよみがえる。ニューヨーク植物園時代に母国日本の飛島から取り寄せたトビシマカンゾウを母本にして先生が作出されたという"ミカド"の美しい花が咲くからである。

青森県においてわが国リンゴ研究の基礎を築かれた須佐先生は、今、郷里大山の一隅に、リンゴの実がみごとに刻まれた墓碑の下に眠っておられる。

(筆者・渡部俊三氏/1988年4月掲載)
※原稿中の地名や年などは紙面掲載当時のものです。

プロフィール

須佐 寅三郎(すさ・とらさぶろう)

リンゴ品種の学術的研究とリンゴの現場栽培技術の指導に生涯をかけ、青森県はもちろんのこと山形、長野、福島、朝鮮など各地でリンゴの権威者として信頼された。

須佐は、西田川郡西郷村馬町(現・鶴岡市)の須佐太郎兵衛の長男として生まれ、庄内農学校を卒業後上京し語学を勉強。アメリカに渡りカリフォルニア大で園芸を学び、リンゴの研究でコーネル大で学位を取得。帰国後、青森県りんご試験場長となり、「農林一号」「陸奥」などの優良品種創出に成功。帰郷後は山大農学部で講師を勤めた。

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