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郷土の先人・先覚186 戦後教育界の第一人者

杉原千代太(明治40-昭和60年)

杉原千代太氏の写真

杉原先生を初めて知ったのは昭和28年頃である。当時、先生は市の学校教育課長をしておられた。私は会計課の職員として教育委員会にもしばしば行く機会があった。先生はいつ行っても机の上に本を広げて読んでおられた。学究肌で、悠容としてせまらない態度に親しみを覚えた。

その後、私は30年に図書館に移り、庄内博物学会の流れを汲む現地博物講習会を担当することになって先生に接することが多くなった。庄内博物学会といっても知らない人が多いと思うが、昭和初期から戦前まで光丘文庫の事業として運営され、植物の牧野富太郎博士を呼んで、鳥海山や飛島で現地博物講習会を実施したり、質の高い「研究録」を第四集まで発刊するなど活発な活動を展開した。会員には教職員が多く、その中から杉原千代太、斎藤清一、白畑孝太郎、富沢襄などの研究者が出た。

昭和7年、栄尋常高等小学校在職中、生徒を指導してまとめた「自由研究・生物観察の実際-アリのちえ-」は3通りの中学校国語教科書に採用されたほど観察記録の好例として賞賛された。酒田高等女学校に勤務中には庄内産の生物についていくつか公表された。ことに山形県産の魚類を集大成された資料(1944)は貴重な研究だったが、戦時中のため公表されずじまいだったのは残念である。

しかし、その一端が先生の晩年である昭和57年、酒田古文書同好会刊の『方寸』第7号に「山形県の魚の目録とその地方名」として発表されたことはせめてもの慰めであり、おそらく最後の研究発表であろう。先生は『方寸』には縁が深く、第2号には「庄内の海亀の記録」(庄内浜へ打ち上がったウミガメについてまとめたもの)、第3号には渓流研究者の間で著名な伝説、大鳥池の幻の魚タキタロウを記された「大鳥池のタキタロウ-付亀ケ崎城名の由来補遺-」を発表されている。

学問的業績としては山形県を南限とするムシャギンポの発見(1963)や、北限とするキハッソク幼魚の採捕(1963)。さらには珍稀魚リュウグウノヒメの記録(1964)などと重要な発見をされている。ヒメウミガメを山形県から報告されたり、胸ヒレの遊離したアカエイの奇形を発表された。

こうして学究者の反面、理科教育者として活躍されたが、晩年には各校長や教育長を歴任され、教育管理者としても優れた手腕を発揮された。温厚な人格者で、戦後の酒田市教育界の第一人者といっても過言ではない。

(筆者・田村 寛三 氏/1989年12月掲載)
※原稿中の地名や年などは紙面掲載当時のものです。

プロフィール

杉原千代太(すぎはら・ちよた)

明治40年南遊佐に生まれる。大正15年山形県師範学校卒業。教育者の道へ入る。昭和6年、中等学校動物科検定試験に合格。同15年酒田実科高等女学校教諭。同24年浜田小学校を皮切りに各学校長を歴任。同36年から2期酒田市教育長を務めている。同60年、79歳で亡くなった。

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