2024年11月28日 木曜日

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郷土の先人・先覚199 三井財閥の基礎を固める

三野村利左衛門(文政4-明治10年)

三野村利左衛門氏の写真

三井財閥の基礎を築いた人。旧庄内藩士・関口正右エ門の孫で、鶴岡の百間堀端(現在の東北公益文科大学大学院付近)が出生地と伝えられている。曾孫の三野村清一郎氏が著した「三野村利左衛門伝」にも、墓誌名「出羽国庄内に出生…」と明記されている。

伝記によると、7歳のときの文政10(1827))年ごろ、父・松三郎が養子入りした家を事情あって利三衛門を伴って出、浪人生活に入った。遠くは九州まで旅をし、父は宮崎で亡くなった。

利左衛門(幼名不詳)は14歳のときに志を立てて京都に上り、さらに天保10(1939)年、19歳で江戸に出た。

江戸は深川の干しいわし問屋丸屋へ住み込みで奉公、実直な働きぶりは人々の目にとまり、そして駿河台ののちの勘定奉行・小栗家に雇われた。ここでも勤務ぶりが注目され、神田・三河町の油・砂糖などを商っている紀ノ国屋・美野川利八に見込まれ、弘化2(1845)年に利八の娘なかの婿養子になった。同時に利八を襲名する。

紀ノ国屋は商家でも零細で、妻が金平糖を作り、利八が背負い行商して歩く毎日だった。苦労の連続だったが、コツコツとお金を蓄え、それを資金に株を買い、安政2(1855)年に両替商を開業している。

小さいながらも両替商となった利八は、ある日、出入りしているもとの雇い主である勘定奉行・小栗上野介宅で、天保小判1両を万延小判3両1歩2朱(3倍強)と換価する旨の布令が出ることを耳にして、天保小判の買い占めを図った。

集めた天保小判を担保にして金を借り、それを資金にまた天保小判を買い集めた。人のつてで三井両替店にも売り込むようになり、こうした機敏な利八の行動は、三井両替店の首席番頭にも認められ、三井家に“紀ノ利” “紀ノ利”と重宝がられた。

三井家の推移にも山あり谷ありで、幕末は金利の低下と長期不良貸し金の累積などで資金繰りが圧迫されているところへ、幕府から多額の御用金が課された。瀕死の瀬戸際に立たされ、最後の手段は幕府の財政担当責任者・勘定奉行の小栗上野介の力にすがり、御用金の減額を頼むほかない、と紀ノ国屋利八を見込み、依頼することになった。

利八は小栗上野介に三井家の窮状を力説。御用金50万両のうち18万両を分納、残額を免除してもらうことに成功した。しかもその後、三井家には幕府から御用金は一切なかったという。

利八は三井家の破産寸前の危機を救い、絶大な感謝と信頼を一身に集め、慶応2年に48歳で三井家に雇われた。同時に名前も「三野村利左衛門」と改めた。姓は三井の三と、紀ノ国屋の姓である美野川の野、亡父の養家の姓である木村の村をとったものといわれている。

戊辰戦争が起こり、維新政府に多額の資金を調達し三井家の通商会社、為替会社の総差配司(支配人)となり、第一国立銀行の設立発起人、頭取代行に就任。さらに三井銀行を創設し総長代理、三井物産会社を創立して三井家の“大番頭”として、その本領を発揮した。

また、明治5年9月12日の新橋・横浜間鉄道開業式では、東京市民を代表して祝辞を述べることになっていた三井八郎右衛門高福が病気になったので、代わって述べている。

(筆者・須藤 良弘 氏/1990年3月掲載)
※原稿中の地名や年などは紙面掲載当時のものです。

プロフィール

三野村 利左衛門 (みのむら・りざえもん)

文政4(1821)年11月鶴岡生まれとなっている。浪人の父と流浪生活し、父の死後、京都に出た後19歳で江戸に出た。住み込み奉公などを経て商家に婿養子入り。利八を襲名して金平糖を行商しながら資金を蓄え、両替商を開いた。三井両替店に出入りして理財の才が高く評価され、三井家300年の歴史の中で最大といわれた危機を見事に乗り切り再建。明治以降の三井財閥の基礎固めに貢献した。ただし、出生地には異説もある。明治10年2月21日、57歳で亡くなった。

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