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郷土の先人・先覚257 酒田の歴史解明、文化発展に尽力

山岸龍太郎(大正5-昭和61年)

生涯の前半を満蒙の原野に石油を探し求めて活躍、後半は酒田に居住して文学に情熱を傾けた山岸龍太郎は大正5(1916)年1月11日、雪深い新潟県西山町石地に誕生している。

だがその後の略歴や大陸に渡った動機、活動などについては筆者に書くだけの資料もないが、龍太郎が日本に引き揚げた後、体調を崩し長い間病院のベッドで療養中書き上げ、昭和45(1970)年に石油文化社より発行した著書『石油馬鹿』のみによって、わずかながら知ることができる。

あとがきには「書き終わって街に出れば、みちのく春空の下、ソ連貨物船が出港して行く」と、情感溢れる文で終わっている。『石油馬鹿』は一つの物語である。だがその中に秘められた石油にかけた炎の如き魂を覚えるし、豊かな文章の流れは吸い込まれていく面白さがあり、彼の文学の非凡な才能があらわれている。

引き揚げ、闘病と長い苦難の道を越え、当時中町にあったトミヤ衣料店に勤務した。『石油馬鹿』を発刊したのはこのころで、私も彼を知ったのがこの時代であったと記憶している。

その後、小松写真印刷に勤め、文学の才能を発揮できる恵まれた職場を得て、酒田の文化を盛り上げた。

そのころ、小松写真印刷で文化に親しむ人たちが自由に出入りして語り合えるサロン的場所を企画、故佐藤十弥さんの命名で「沙論奴明(サロン・ド・メ)」を開設した。かれはそこに勤務して多くの人と交わり、酒田の文化の中に溶け込み、郷土の文化発掘に意を尽くした。

また、小松写真印刷では業務を拡張、株式会社「本の会」を設立、社長の椅子を与えた。そして市町村の要覧や出版物・郷土出版・みちのく豆本など、出版文化にその手腕を振るっている。

著者には前述した『石油馬鹿』のほか、みちのく豆本の会からは『庄内の民具民謡』、『庄内石油譚』、『夢二と酒田』、『象潟行』、『出羽路の夢二』、『山形のこけし考』、『夢二断章』などで、とりわけ竹久夢二の研究については旺盛な意欲を燃やし続けていた。

人柄が良く、常に笑顔で接し、相手に不快感など見せない人で、社内でもみんなに慕われたという。しかも新潟県生まれであるが、酒田人になりきって風土に馴染み、土地の歴史解明と文化に尽力した功績は大きい。昭和61(1986)年10月に亡くなった。

(筆者・荘司芳雄 氏/1991年12月掲載)
※原稿中の地名や年などは紙面掲載当時のものです。

プロフィール

山岸龍太郎(やまぎし・りゅうたろう)

大正5年1月11日、新潟県西山町石地に生まれる。満蒙の原野で石油を捜し求めて活躍。引き揚げ後は酒田で文学に情熱を傾けた。著書には『石油馬鹿』、『庄内の民具民謡』、『庄内石油譚』、『夢二と酒田』、『出羽路の夢二』、『山形のこけし考』、『夢二断章』などがあり、とりわけ竹久夢二の研究については情熱を燃やした。昭和61年10月、70歳で亡くなった。

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