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郷土の先人・先覚292 伝統川柳の名家

根上新内(明治38-平成3)

『飽海郡誌』に「徳尼公は従士三十六人と共に難を立谷沢にのがれ、向こう酒田(宮野浦の飯森山付近)に移る。(中略)従士三十六人の末裔は地侍となり、廻船問屋を営み、のちに居を当酒田の中央に占め、称して本町という。一丁目より七丁目に至る。いわゆる三十六人衆である」と記されている。

根上家も三十六人衆の一つで、住んでいた町を俗称であるが根上小路ともいう。

根上新内(本名・善一郎)は明治38(1905)年7月、父・善造の長男として本町に生まれ、根上家13代目に当たっている。川柳を趣味としており、新内は川柳のペンネームである。

慶応大学を卒業して、酒田の海陸運送の事業に携わり、会社経営に意を尽くしている。大家の風貌を備えた半面、ユーモアに富んだ親しみやすい人柄であった。

昭和26(1951)年酒田に古川柳『柳多留』研究の「だろう会」が生まれ、新内・星・双果・山椒亭らのメンバーで1年間続けた後、近代川柳の実作に方針を変え、同27年に酒田川柳会として、新たに発足した。以来寿町の大信寺を会場として、長い間川柳研究と作句活動を続けた。

同川柳会は会長も置かず、会則もない自由な会であるが、その中は新内は長老的存在で、格調ある句の中に、川柳の3要素を基本にした作品が多く、句会の席でも姿を乱さない風格があった。また博学多才で、豊富な話題は座を楽しくさせた。

著書に川柳集『交差点』がある。

・横車多数で押して民主主義
・講釈や芝居が好きで義理固い
・義太夫の首を振るのも芸のうち
・面白い講義筆記の手がとまり
・円朝の話術に残る下駄の音

どの句も心に余韻の残るような新内調の作品である。

最近、川柳界も伝統川柳と革新川柳に色分けされているようだが、彼の作品は古川柳『柳多留』を踏まえた本格派の伝統川柳であり、多くの名句を残している。

また、川柳のほか、歌舞伎・落語・相撲など江戸趣味を持った粋人で、ペンネーム「新内」からも知ることができる。特に相撲は百科事典のような人であったという。平成3年9月急逝。86歳だった。

(筆者・荘司芳雄 氏/1993年5月掲載)
※原稿中の地名や年などは紙面掲載当時のものです。

プロフィール

根上新内(ねあがり・しんない)

本名・善一郎。明治38年7月、三十六人衆の1人、根上家の善造の長男として生まれる。ユーモアに富んだ人物で昭和26年、古川柳『柳多留』研究の「だろう会」を発足。同27年、同会を酒田川柳会とし、近代川柳へと方針を変える。以来川柳と作句活動を続け、古川柳を踏まえた本格派の伝統川柳を多く残している。また、江戸趣味を持った粋人で、相撲には大変詳しかった。平成3年9月、86歳で亡くなった。

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