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郷土の先人・先覚317 鵜渡川原人形に新境地

大石文子(大正6-平成3)

土人形は全国的に多く見られるが、京都の「伏見人形」、長崎の「古賀人形」、仙台の「堤人形」が代表的な土人形といわれており、県内では「平清水人形」「相良人形」「鶴岡瓦人形」「鵜渡川原人形」などが知られている。

酒田の土人形は、鵜渡川原村(現・酒田市)で鋳物師・大石助右衛門が土人形を作っていたので「鵜渡川原人形」と呼ばれたようだ。大石家から分家した大石たつゑが分家の初代、二代目が重助・梅代。その長女が三代目の大石文子である。

だが、最初から師匠についた訳ではなく、父母の仕事を手伝っているうちに、見よう見真似で先代の技術を覚え、その中から土の温もりを感じるようになって、土人形の持つ魅力に引かれ、自然に三代目を継承するようになったという。

言うなれば、家庭的な土壌で生まれ育ち、自分の肌で習得した土人形師である。

制作の工程は、最初土(粘土)練りで始まり、型に入れて原型を作り一週間くらい天日で乾燥させたあと、時間をかけて焼き上げる。これまでが大体男の仕事で、そのあとは女の手に移る。

まず人形を胡粉(ごふん)で白く塗った後、土人形の絵付けにかかり、色が落ちないようにニカワを混ぜた泥絵具を使って丹念に彩色していく。特に人形の生命である顔を描くときは神経を集中させるという。

また、同じ土人形でも鶴岡の瓦人形は軽く、酒田の鵜渡川原人形はどっしりした重さがあるといわれるし、人形の種類も桃太郎、花咲爺、戦国武将、恵比寿、大黒など多種がある。絵付けも制作者によって異なり、鵜渡川原人形は先代の赤や樺色(赤みの強い茶黄色)などの濃い色が、三代目文子の作品にも見られる。

最近の雛祭りには豪華な「衣装人形」を飾って節句を祝う家が多くなったが、昔は1年に1個買って子供の成長を祈り、子供が生まれると2個買い求め、素朴な中にも土人形を飾る楽しさがあった。

土練りなどの重労働は夫に助けられ、それ以外は全て自分の手で仕上げ、ふくよかな顔立ちと色彩の美しさは一段と鵜渡川原人形の声価を高めた。

出来上がった人形が売り子たちから庄内の各地に売られていくが、どうか人形を大切にする人の手に渡るよう祈る気持ちになるという。これこそ、生涯を人形作りにかけた人の愛情の発露であろう。

(筆者・荘司芳雄 氏/1995年7月掲載)
※原稿中の地名や年などは紙面掲載当時のものです。

プロフィール

大石文子(おおいし・ふみこ)

大正6年旧鵜渡川原に生まれる。本家は大石助右衛門、屋号を鍋屋という鋳物師で、仕事の手の空いたときは土人形(鵜渡川原人形)を作っていた。その鍋屋から分家して土人形作りを継承、三代目が大石文子である。

主人は旧国鉄に勤務していたが、土練りなどを手伝い、人形制作の裏方として協力したという。

秋になり絵付けが始まると一日中座りっぱなしで、はたから見たほど楽な仕事ではなかったという。

平成3年11月、鵜渡川原人形制作者として多くの作品を残し、享年71歳で亡くなった。

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