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郷土の先人・先覚58

甲崎 環

甲崎環氏の写真

「甲崎環」といえば郷土史家、特に古文書読みの大家として知られるが、私には玉のような人柄のよさが一番印象深い。生まれながらの素質もあるであろうが、私は長い間の学問の研鑽によって磨かれ、練り上げられたものと理解したい。

彼は明治15年酒田の鵜渡川原に生まれ、少年時代から山口半峰に書を習い、学問を好んだ。本町にあった酒田米穀取引所につとめ、書記として活躍するかたわら、江戸時代の書誌学者・狩谷えきさいや、庄内の郷土史家・池田玄斎を理想として国漢文や郷土史を勉強した。漢文を読むには石碑を解読するのが一番良い、と話していた。

昭和22年、本間美術館が設立されると、本間祐介に望まれて学芸員として藤井伊一、白崎良弥とともに勤務する。間もなく彼は次のような「骨董窟記」を書いている。

「信州には姥捨(うばすて)山あり、本間美術館に爺捨(じじすて)山あり骨董窟と名づく。三遷あり、聾軒意頤髯(ろうけんいぜん)居士(白崎良弥)、鶴髪童顔(かくはつどうがん)居士(藤井伊一)、たい巷禿菴(こうとくあん)」居士(甲崎)という。皆塵襄(じんじょう)を脱せる面構なれども中々以て左にあらず、或は鉱山の経営をなし、或は財産税の苦労をなす。独り禿菴無資無産ざりとて共産にはいささか由縁なく、徒らに息子の脛(すね)を是かじる。三居士此窟に会すれば、頓に世喧(せけん)を忘れ、風流に是れ耽る」

この文章を見ると彼はユーモアに富んでいたことや、世間の名利に超然としていたことがよくわかる。自ら「ちんせきに陶酔して時きの移るを忘れ」と書いているように、本を読んだり、書画を見ていればただそれだけで楽しく、浮世の苦しさを忘れるという人であった。これは全く恵まれた才能であり、天才というべきである。

だから、その造詣の深いことは舌をまくものがあった。秀吉の妻高台院"ねね"のちらし書き手紙など、日本古文書中の難関であるが、彼はこれを読みこなしている。古文書解読の実力では当時、わが国でも五本の指に入ったものと思われる。

掛物の解読を頼まれると、すぐ鉛筆と広告紙を持ち出し、その裏へ書いてくれた。酒田出身の大学生が日本史の教授に「自分の家には読めない巻物があります」というと、「僕が読んであげる」というので持って行ったら、ただ、うなるばかりであった。これを甲崎はスラスラ読んだという。

幻の本といわれた伊勢物語の塗籠(ぬりごめ)本を発見したのは、天が彼に与えた花束のようなもの。

(筆者・田村寛三 氏/1988年7月掲載)
※原稿中の地名や年などは紙面掲載当時のものです。

プロフィール

甲崎 環 (こうさき・たまき)

郷土史家。明治15年3月31日酒田に生まれる。小さいころから歴史書を好み読んだ。坂田米穀取引所に勤務のかたわら郷土史を勉強、戦後、学芸員として本間美術館に20年余り勤務した。昭和39年から酒田古文書同好会を指導、とくに古文書を解読。伊勢物語の塗籠本の発見者として著名。酒田市史編さん委員としても活躍し茂吉文化賞、市表彰条例による表彰を受けている。昭和45年8月4日88歳で死去。

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