藤沢周平さんは、昭和2年金峯山の北の麓黄金村高坂に生まれています。ここは、正面に月山を望み、集落をとりまくように青龍寺川が流れ、一面に稲田が広がっている豊かな自然に恵まれたところです。藤沢さんは幼い頃、この美しい山や川を遊び場として日が暮れるまで山椒魚を捕まえたり、行々子(よしきり)の卵をとったり、雑魚(ざっこ)しめをして過ごしたことが、小説『小川の辺(ほとり)』の中や、エッセイ集などに書いてありますように、比較的幸せな子供時代を送っていました。
やがて、鶴岡中学の夜間部から山形師範を卒業、湯田川中学校の国語教師になられるのですが、その翌年父親の急死、またすぐに藤沢さんご自身が肺結核に罹り、療養のため26歳で上京します。回復後、湯田川の近く藤沢出身の三浦悦子さんと結婚して女児が生まれましたが、奥さんが出産後間もなく28歳で亡くなられ、藤沢さんはご自身が発病の時以上のショックを受けて立ち直るのにかなりの時間がかかったようです。小説の中には、当時の藤沢さんの気持ちと重ねて、妻を亡くしたために、ぐれてやくざ者になり、いかさま賭博をやる主人公が「子等と楽しげに語らう声を聞くと畜生と思わずにいられなかった」と書いてある作品もあります。
しかし、その後懸賞小説に応募しはじめ、『暗殺の年輪』で直木賞を受賞し、作家としての道を歩みはじめます。
(首都圏つるおか会総会記念講演より)