藤沢周平さんの時代小説には「海坂藩」という藩が登場します。直木賞受賞作の『暗殺の年輪』に登場して以来、大方の武家ものの作品はこの「海坂藩」が舞台となっております。『蝉しぐれ』や『三屋清左衛門残日録』など長編短編、数多くの作品があります。その海坂藩は、もちろん、架空の藩ですけれども、モデルというか、作者の心の中で基盤となっていたのは、荘内藩だと思われます。海坂藩は北国で、江戸まで120里の道のり。三方を山で囲まれていて国境を形成し、一方に海がひらけている。東の山には信仰を集めている修験場の山があり、南側には山脈が連なっていて、その山脈の終わりの丘陵地帯が海坂藩にもかかっていて、坂のある町になっている。海には漁港があって、朝のとれたての魚を浜の女たちがふれ売りに城下までやってくる。大きい港には米や紅花などを積む船が出入りし、豪商である廻船問屋が数軒ある。比較的水利事業も整って、田は美田が多く、秋には一面黄金波打つ農村風景がひろがっている、などなど。こうした地理的な設定は、荘内藩、また、現在の鶴岡市・酒田市とほとんど一致しております。
藩の内情は、比較的政治闘争が多く、執政が交代するたびに、下級の武士たちが右往左往させられ、中には命を落としたり、『蝉しぐれ』の主人公のように一家の崩壊の憂き目に遭ったりしますが、このような内紛はどこの藩にもあったことでしょう。荘内藩にも、こうしたゴタゴタの記録はたくさん残されていますので、参考資料としてはこと欠かなかったのではないでしょうか。このように地理的・歴史的な面においての基盤を、藤沢周平さんは生まれ故郷である庄内・鶴岡をモデルとして物語を構築していき、そこに人間を生活させ、その哀歓を描きました。いつの時代にも共通する人間の姿がそこにはあると思います。
「故郷へ寄せる想い」へ続く
(新座市立栄公民館講演より)