「老人力」が新流行語になっているが、これは興味深いことである。バブルのころは老人は役立たずとされる風潮があり、テレビなどでも暴言を吐くタレントがいて腹がたったものだ。確かに高齢化が進んだ今の日本では、働かない(働けない)老人が増加するのは深刻な問題ではある。しかし、本来人間社会においては長寿が知性や経験の集積として崇められ、力が支配する動物社会との違いがそこにあるとされてきた。
老人力で思い浮かぶ作品はやはり『三屋清左衛門残日録』の主人公・清左衛門であろう。テレビで仲代達矢さんの演じる清左衛門をご覧になった方は、清左衛門の年齢をいくつぐらいと思われただろうか。作者は53歳ぐらいという想定で書かれたそうである。
江戸時代では平均的な隠居年代とされている。今でいうと60歳を少し過ぎたころか、と思われるが、老人というにはまだちょっと間があるかも知れない。しかし、第一線を退き、余生をどう過ごすかを考えているうちに、次々に事件に巻き込まれる清左衛門は、それらを今まで培った経験や人脈の力で解決してゆく。経験がものを言うのも大切だが、老人力を支えるのは人脈でもある。友人、部下、同僚などと結んできた絆が清左衛門のピンチを救っている。現役時代にいかに人との結びつきを強め、誠実に対してきたかが本当に問われるのは隠居してからなのだろう。原作には清左衛門の若い頃からの付き合いが書かれていて、人脈の形成され方が納得いくようになっている。その主人公の人格を読者にイメージさせるのが、テレビなどと違って面倒である。作品を読み終えたときに主人公の姿がおぼろげに浮かんでくることが多い。『三屋清左衛門残日録』を読んで主人公の人物像に親近感を抱く人が多いのも、そのイメージが明瞭なせいもあるだろう。