「カタムチョ」という庄内弁は、今ではほとんど使われていない。偏屈者、ヘソ曲がり、片意地な人、といった意味の言葉で、我々の父母の世代ぐらいまでは日常会話にも出て来たらしい。カタムチョな人については、藤沢さんのエッセイ集『周平独言』の「流行嫌い」の章で、歌人の上野甚作がカタムチョだったと評されていることに触れながら「私の流行嫌いも、恐らく荘内農民のカタムチョ(私の母はカタメチョと言っていたようだ)からきている」と述べている。自分もまたカタムチョな人間の1人だと認めているのである。また、同じエッセイ集の「時代のぬくもり」の章では、清河八郎・石原莞爾・大川周明の3人の庄内出身者を取り上げ論じているが、この3人に共通の性格を見出している点が面白い。3人とも予見者であり、カリスマ性をもった三人三様の異能の人だったことなどの他に、庄内人にまま見られる一種の気質の共通性をあげている。奇行や放言が多く、人に誤解されたり反感を買ったりして敵を作り、自滅することもあるその気質を一種のカタムチョである。特に権威を愚弄するかのような態度に出ることもある、と述べている。流行を嫌うことも、ある勢い(権威)から自分を守ろうとする心の作用で、押し付けられること、いばられることを徹底的に嫌う性格が顕れたものだと看破している。
さて、作品を見ると、カタムチョな人物がたくさん登場している。まず、代表として題名もずばり『臍曲がり新左』が挙げられる。主人公の治部新左衛門は「稀代の臍曲がり」で「藩中一の憎まれ者」である。日常の挨拶さえもまともな受け答えをしてくれない。「寒いですね」とあいさつしたとき「俺は寒くないぞ」という返事が来たりしたら、誰でも次に会ったときには挨拶をしたくなくなるだろう。人々は敬遠し、近寄らないようにしている。しかし、新左は関ヶ原の戦いや大坂夏の陣のときまでの目覚ましい功績があったため、人々におそれられてもいる。老人でも剣の技は衰えることなく、ついには藩の奸臣といわれる男を斬り倒したことで賞賛され、その偏屈ぶりもマイナスに作用することがなく終わっている。年ごろの一人娘がいて(妻は2年前に病死している)、自分の臍曲がりのために縁談が壊れていくのを気に病む、普通の父親でもある。臍曲がりではあっても、正義感の強い、頑固で一徹な老武士のイメージで、物語の終わりのほうで、娘の縁談がうまくいきそうなのを暗闇の中でニヤッと笑って喜ぶところなどは、微笑ましいくらいである。