一方、カタムチョゆえに命を落としてしまう者も描かれている。カタムチョが増幅し、他人に疎(うと)まれたり、運に見放されたりする人間、一種の悲劇的性格の人物も登場する。例えば、『偏屈剣蟇の舌』の馬飼庄蔵という男がそれである、庄蔵は、人が右といえば必ず左というという生粋の(?)偏屈者である。「坐ったまま、人を斬る」という蟇の舌という秘剣を習得した剣士なのだが、その偏屈ぶりの方が有名になってしまって、剣豪の評価はされないでいる。この偏屈に目を付けたある男が庄蔵を罠にかけ、暗殺者に仕立ててしまう。「藩のために、ある男を暗殺してくれ」と、まともに頼めば絶対にそっぽを向くだろうと読み、逆に「やってはならん」という。庄蔵は「つねに世間的な分別にさからい、平気で踏みにじってきた男」なのだから、きっと自分の罠にうまく引っ掛かるだろうと考えたのである。案の定、庄蔵は刺客となって、藩内のある勢力側にいた男を暗殺し、もう一方の勢力に加担した形になる。しかし、ことが露見し、庄蔵に切腹の命が下ったとき、その人たちは全く素知らぬふりをする。確かに「やってはならない」と言ったのに、庄蔵が勝手にやったのだから、責任がないといえばない。カタムチョが身を滅ぼした一例である。
また『汚名剣双燕』にも、偏屈な一家の長のために一族が破滅に導かれる話が書かれている。その男、関甚左衛門は「長年藩政に参与してきたが、偏屈な人間としても知られていた男」で、他の執政たちと衝突を繰り返してきた。ついには藩主とも激しくやりあい、とうとう閉門を命じられた。ところが、この偏屈者は藩主の命令を無視する行動をとる。結局、関一家は全員凄絶な討ち死にをしてしまう話である。