『蝉しぐれ』という本を手にして、本を読むことがあまりない私は、本を読むことを苦痛に感じていました。でも、少しずつ読んでいくうちに、どんどん本の内容に引き込まれていって、読みいってしまいました。分からない感じが多くて、ところどころで、立ち止まってしまったり、理解できないところもあったけど、文四郎の生き方、生活に、後になにがあるのか知りたくて、楽しく読むことができました。
文四郎と逸平、与之助との関係や、父との関係、ふくとのやりとりに、いろんなことを考え、思いました。夜祭りでの喧嘩は、清次郎の汚れた手段が許せなかった文四郎と逸平は、強くてカッコイイと思いました。人は挫折した時、その怒りを弱い者にぶつけようとするけど、1人に対して何人もの人が狙っていくのは、清次郎という男が、本当に小さな人間だと思いました。それに比べて、文四郎は、強くて、大人だと思いました。父が突然死刑(ママ)となって、周りにいろんな事を言われても、逃げようとせず、父の残した言葉を守り続けている姿はすごいと思いました。でも、最後の面会で、思っていたことを素直に言えず、後悔している時、逸平が「人間は後悔するように出来ている」「男だって木石じゃない。泣かねばならんこともある」と言った言葉には、心を打たれました。女はどんな時でも素直に涙があふれるけど、男は簡単には泣けない切なさを感じました。そして、いざという時、言葉を失ってしまう。人間の愚かさを感じました。でも、人間は後悔を重ねて、大きくなるんだと思いました。
ふくが江戸に行く前に、文四郎に会いに来たのに、すれ違いで会えなかったり、殿の側女となってしまって、手の届かない存在となってしまったことは、文四郎にとって、本当に耐えがたい悔恨だったのだろうと思います。人生は思うように行かない、苦しいものだと、しみじみ感じました。
3年ぶりに会った与之助と会話していた文四郎は、自分の胸のうちにあったことを、隠さずに話して、「これだけは言っておきたかった」と言ったとき、2人の関係は信頼しあっていて本当の親友なんだなぁと思いました。
そして、文四郎の生き方は素晴らしいと思いました。約束は堅く守り、人を裏切ることもせず、父を尊敬し、母を大切にして、素直で文四郎のような人が理想の人間だと思いました。
人の幸せをこれほど願える人はいないと思います。
昔の女の人は不幸だと思いました。矢田の未亡人の死も、苦しいものだったと思うし、ふくもあんな生活で、幸せだと感じているのだろうか。でも女の人は男の人に本当に大切にされていると感じるところもありました。
そして、男の人は自分の才能を生かして、自分ができることを精一杯頑張っていて、たくましく思えました。自分が決めたことを諦めずに強気で立ち向かっている姿は、今の私たちに足りないところだと感じました。努力することを怠らず前に進む姿勢は、一番大事なこと、やらなければならないことだと思いました。でも昔から変わっていないと思ったことは、罪を犯したとか、位の違いで差別することです。人は間違いを犯して、それを反省して大きくなったりするものだから、それを頭ごなしに差別することはないと思います。でも罪を犯すということが、世間をこんなにも敵に回してしまうことだと考えると恐ろしいものだと思いました。
いろいろな事を乗り越えて大人になった文四郎は人間の鏡だと思いました。
強い人間という意味を改めて考えることができました。