これまでちゃんとした小説を読んだことがなかった。読むのは面倒くさいと思い、読もうとすら思うことはなかった。しかし、いざ読んでみると夢中になって読んでいた。解説にも書いてあったことだが、この『蝉しぐれ』は、風景や街の描写がとても分かりやすく、自分の頭の中でイメージしやすい。まるで自分が主人公の文四郎にでもなったかのような気持ちになる。やっぱり藤沢周平はすごい人なのだなと思った。同じ鶴岡市に生まれた、藤沢周平の作品を読む機会があって、とてもよかったと思う。
「蟻のごとく」の章のところで最初はどうして蟻のごとくというタイトルがついているかと不思議に思った。この章は文四郎が父の遺体を1人で車で運ぶ場面。文四郎がとてもかわいそうな場面だ。そこに「自分を、炎天の下で身体に余る物をはこぶ蟻のように思い做したりした」この文を読んで、文四郎の気持ちがよく分かるだけでなく、さっき疑問に思ったことも理解でき、とても感動した。
私は17、18歳の主人公の物語が好きだ。大人でもない、子供でもないような年齢で、自分と重ねて見ることができるからだ。蝉しぐれもまた少年から大人になる人物の心情が上手に描かれていてとても良かった。
文章では少々分かりにくい試合や切り合いの場面なども上手に描かれていて良かった。試合中の次はどうするかなどの考えもリアルに描かれていた。少し文四郎が強すぎるかなと思う場面もあった。いくら自分の命が狙われたとしても、昔は殺人事件が多すぎると本当に思った。今は多くの人から反感を持たれても殺されるということはない。昔は今と比べるとシビアな時代だなと思った。
『蝉しぐれ』を読んでいるとき、文四郎とふくの関係が最も気になった。「朝の蛇」の章で文四郎がふくを助けた場面や、夜祭りの章でふくと夜祭りに行く場面で、2人はお互いに好きなんだなと思った。だけどふくの家は文四郎の家より子供が多く、家禄が少ない。ふくが文四郎の家に米を借りた時は、ふくがかわいそうだった。ふくが江戸に行くとき文四郎と会えず、すれ違ってしまう2人がかわいそうだった。何よりふくに殿様の手がついてしまった時、文四郎の「目の前が真白になったような気がした」が、とても心に響いた。自分は、文四郎はこの時になって、ふくの事が本当に好きだと思ったと思う。ふくをいとおしむ気持ち、ふくに会えず別れてしまったこと、やるせない文四郎の気持ちがよく伝わってきた。また出会うことができた2人が「文四郎さんの御子が私の子で、私の子供が文四郎さんの御子であるような道はなかったのでしょうか」「それが出来なかったことをそれがし、生涯の悔いとしております」。この場面が一番この作品で頭に残る所となった。この2人が結ばれなかったことがかわいそうというより、辛かった。この章は夏の暑い様子がよく分かり、松林から聞こえる蝉しぐれがとても良かった。