J-SOX法(日本版サーベンス・オクスリー法)が導入されることになり、内部統制のルールが厳しくなっていますが、ビジネスを通じて知り得たさまざまな情報、これは自分たちが持つべきでない情報も含まれているわけですが、そうした情報のコントロールを徹底的に、また公明正大にやりなさいということになっています。あらためて社会的な責任主体として、情報のコントロールを徹底するという流れです。具体的には、まず「境界」を作ります。主体の境界を引いて、その中から外に情報発信を行い、外の情報を中に入れたらそれには非常に気を使い、また中と中との情報交流を促進する、というように主体による情報コントロールが不可欠になっています。
このように、Web空間を活用する我われは、Web空間の特性を知り、我われ自身による情報コントロールを徹底することで、はじめて主体としての活動が保証されるということができるでしょう。
同じように地域も、先ほどみたように否定的な状況ばかりでしたが、Web空間の登場によって大きく揺さぶりがかけられていると考えることができます。私が感じているのは現実空間としての地域が、相対的に「統合性」を失いつつあるということです。統合性とは、基底の存在として雑多なものを集めてくる力のようなものです。
地域は空間的に多様なものを集めます。さらに地域は時間的にも統合性を持ち、例えば町の意志や地域性といったものを形づくります。自分たちが地域の歴史を刻んで、その地域性を肌で感じていたりして、そういった意味の統合性を強く持っています。ところが最近、その統合性が希薄になってしまった。住民ではなく消費者に成り下がったばらばらな個人が空間的に散在して住んでいるというのが地域の実情です。我われが地域の再生を考えるときも、Web空間の登場によって、地域という人間活動の場が変質をしていることを前提にしなければならないでしょう。
メディアという言葉はいろいろな定義がありますが、ここでいうメディアとは、主体の主体による主体のために情報コントロールを行う道具を意味しています。メディアによって2つの活動の場を架橋しながら、主体としての線引きを行い、その中で主体による主体のための情報コントロールを行うわけです。
ただし、メディアは、情報発信するだけでなく、コミュニケーションをデザインする道具と考えたらよいと思います。情報発信はコミュニケーションの一つの形態にすぎない。SNSはここでいうメディアにとっても近い道具といえるでしょう。これまでメディアはいくつかの理由で、例えば希少な電波資源を有効活用するといった目的のため、巨大資本の全国メディアしか存在できませんでした。放送に限らず、新聞でも、出版でも同じことです。しかしインターネットが登場した今では、どんな団体でも、どんな人でも手軽に同じような効用を持つメディアを持てるようになりました。むしろ、そのような環境の中で、あらゆる主体はメディアを持たなければWeb空間を生きていけなくなっているといってもいいと思います。当然ですが、これらのメディアは一斉同報のマスメディア型というより、自由自在なコミュニケーションや情報コントロールができる自由度の高いものです。
実は地域に、ここでいうメディアがたくさん生まれているのです。地域SNSもその一つですが、それだけではありません。また面白いのは、田舎に行けば行くほどユニークなメディアが生まれていることです。このメディアを私は「地域づくりの道具」と呼んでいますが、大きく2つに分類できるように数が増えてきました。
一つは「地域プラットフォーム型」です。これは限られた人を対象に、対話を通じて人と人との循環をつくって地域が直面する課題を解決するものです。もう一つは「地域メディア」です。これは1000人とか、1万人とかより多くの人を対象にしながら、地域イメージを共創し共有するといったメディアです。蛇足ですが、ここにも西高東低の現象がみられます。
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