その権兵衛を利用したのは、藩の権力者であった。禄を戻してやる、との甘言に、一か八かの賭けをする権兵衛。それを止めようと説得する他の2人。その3人が最後に会った場所は、「むじな屋」という居酒屋で、肴は鰊(にしん)と大根の古漬けであった。
権兵衛は罠にはめられて命を落とし、その罠をしかけた大物を他の2人が闇討ちする、という展開なのだが、この小説の面白さは3人の悪相をした老人たちのキャラクターにあるといってもよい。藩の権力争いのパターンは他作品と似ている。命がけで闘うのは身分の低い武士で、それを利用しながら出世したり、政敵を陥れたりするのは権力の中枢にいる人である。「海坂藩」の下級武士の憤懣は、一杯飲み屋で吐き出される、というわけで、現代のサラリーマンに共感をもって読まれるゆえんもこの辺にあるのだろう。『闇討ち』の3老人の飲み屋における話やしぐさがユーモラスな中に哀しみを漂わせる。とりわけ、権兵衛は死に、2人がその仇を討ち、その仇討ちも結局は権力闘争にうまく利用される形で収拾されてしまったあとで、残った2人が飲み屋に行こうとするときの会話に、「残日」の哀しみをにじませる。この辺りの文章の魅力が藤沢文学の真骨頂を示しているといえよう。
余談であるが、三屋清左衛門も、刈谷範兵衛も妻に先立たれ、寂しい老後ではあるが、幸いに嫁が優しく、舅を敬愛し、理解している。『闇討ち』に登場する3人の老人のうち興津三左衛門の妻も5年前に病死している。嫁の加弥は興津を敬い、懸命に世話をする。前の2作品と設定が似通っていて、どうやら「老人力」を支える一つの役割として嫁の存在がパターン化されて存在するらしいことに気がついた。