新聞の読み方に決まりはないと言われる。まず1面に目を通す人もいれば、社説、政治経済欄と読み進める人もいる。いきなりラジオ、テレビ欄を見たり、スポーツ欄から読む人もいるだろう。昔のように一字一句まで丹念に読む人は少なくなり、読者は自分の好みと、長年の習慣に従った読み方をする。だから1面のトップにある題字に目をこらす人はまれで、題字はそこにあるものとして何となく見過ごしているのである。
本紙のある読者は、長年親しんできた「荘内日報」の題字の筆者は誰なのか、また「荘」の字に「、」が打ってあるのは正しいのかと、ふと疑問を抱いたという。「荘内日報五十年史」によれば、現在の題字は昭和29年から使われている。記録にはないが、筆者は松平穆堂翁(1884?1962)であることがわかった。あらためて題字を眺めると、「いかにも穆堂先生の筆跡だなあ」と納得される読者が多いのではないだろうか。穆堂先生は、庄内の書道興隆の基礎をつくった黒崎研堂翁門下の逸材。穆堂門下生は小学校児童にいたるまで数千人に及び、書道王国・庄内を実現させた。
次に「荘」になぜ点が打ってあるのかという疑問である。辞典の「荘」に点のあるものはないから誤字なのか、漢詩文や多くの古法帖に通じていた穆堂先生が誤字を書くはずがない。書の手本として書かれた「三体千字文」を見ると、荘の字には「、」が付いていないが、「土」の字には「、」が入っている。筆勢や字体のバランスから点を打つことは書の世界ではままあることといわれるが、果たしてどうだろうか。簡野道明著『字源』のなかにある隷法彙纂(れいほういさん)には、点が付いた「荘」の文字が上げられているから、穆堂先生はきちんとした根拠があって記したのだろう。
酒井家に伝わり致道博物館に寄贈された書跡「潮音堂」(国重文)は中国宋時代の無準(ぶじゅん)禅師の筆で、筆力の剛健さと堂々とした中にあふれている気品は、墨跡中の王座に位するともいわれる。「潮音堂」の音の字の右肩の所に、丸い点があるのは墨が滴った跡で、それがまた何とも言えない情趣をたたえている。それはそれとして、松平穆堂書による題字の点は誤って墨を落としたものではない。その書体は活字にはない生き生きとした力にあふれていることにあらためて気付くのである。
今の題字が使われるようになった昭和29年8月1日付本紙1面のトップをみると、「町村合併の第一陣」という大見出しが躍る。その下に「きょう遊佐町、平田村、朝日村誕生」とある。その後、庄内地方では町村合併が進められ大きな変革の原動力となったことが分かる。あれから50年余が経過し、ふだん読者の目にあまりとまることのない題字が、その歳月を休みなく使われ続け、21世紀に引き継がれてゆくことに深い感慨を覚える。