2024年(令和6年) 10月10日(木)付紙面より
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鶴岡市温海地域に住んでいた刀匠・豊前守藤原清人(ぶぜんのかみふじわらきよひと)(1827―1901年)の遺徳をしのぶ碑前祭が5日、同市のあつみ温泉・瀧の屋で行われた。
清人は仙台藩士・長野清右衛門の八男として生まれ、庄内藩御用鍛冶を務めた温海地域の斎藤家(温泉宿朝日屋)の養子となった。当時の名は斎藤小市郎。刀工を目指して江戸に出た後、26歳で山浦清磨に入門し師匠の一字をもらい「清人」を名乗った。1856(安政3)年、江戸・神田で刀鍛冶として開業し、江戸の名匠として名が広まった。
67(慶応3)年に豊前守を拝命した後、父が還暦を迎えたことを機に帰郷。70(明治3)年に再度上京し、明治天皇に献上する刀を鍛造した。没後70年余りが経過した1972(昭和47)年、あつみ温泉街にある熊野神社境内に顕彰碑が建立された。
碑前祭は日本美術刀剣保存協会庄内支部(大瀧儀一支部長)が毎年この時期に開催している。コロナ禍の間は致道博物館で開いており、あつみ温泉での実施は4年ぶり。今回は同支部の会員や来賓など約30人が参列し、祝詞奏上に続き大瀧支部長などが玉串をささげた。江戸での修業時代、急逝した師匠に代わり刀30振りを鍛造して刀債(未納の刀)を返済したという清人の優れた人徳を表す逸話などにも触れ、先人の遺徳をしのんだ。
碑前祭に先立ち刀剣鑑賞会が行われ、支部会員が持ち寄った江戸後期から昭和期までの刀剣約15点が並べられた。清人作の脇差しや江戸後期の刀匠・3代池田一秀作のやり(穂先)、月山鍛冶の一人・河野貞光作の刀などを手に、支部会員たちがそれぞれ知識を披露し刀剣について理解を深めた。