文字サイズ変更



  • プリント用表示
  • 通常画面表示

荘内日報ニュース


日付の新しい記事へページを移動する日付の古い記事へ
  • ニューストップ
  • 最新記事
  • 戻る

2012年(平成24年) 5月5日(土)付紙面より

ツイート

若い力で伝統芸能継承 山戸能と山五十川歌舞伎子供や青年らが奉納上演

 鶴岡市山五十川地区に伝わる「山戸能」と「山五十川歌舞伎」の2つの県指定無形民俗文化財が3日、同地区の鎮守・河内神社境内の古典芸能伝承館で奉納上演され、地区の子供や青年らが中心になって伝統の芸能を熱く演じた。

 山戸能は、江戸中期の肝煎が書いた記録「当時能事始」によると、平安時代初期の866(貞観8)年、能楽に堪能な人が始め、その後、黒川(現・鶴岡市)から移住した人が多くの演目を伝えたといわれる。一方、歌舞伎は江戸中期の宝永年間(1704―10年)に、神事に関係する村芝居として始まったという。

 現在は山五十川古典芸能保存会の下、山戸能一座(三浦喜三夫座長)、歌舞伎一座(尾上菊之丞座長)がそれぞれ伝承。1集落で能と歌舞伎双方が受け継がれている例は全国でも珍しいとされる。1976年に能、86年に歌舞伎がそれぞれ県無形民俗文化財に指定された。

 この日は、氏子の男衆たちがそろいの紋付きはかま姿で参集。神の依(よ)り代である神輿(みこし)の前で地域の安寧などを願う「神輿前祭り」の後、芸能が奉納された。

 能では稚児舞「恋慕の舞」として佐藤健人君(山戸小6年)が公達役、本間颯汰君(同)が姫役、続く式三番では珍しい子役の千才として本間丈士君(同4年)がそれぞれあでやかな舞を披露。番能「羅生門」も鬼神役のシテの怖い形相に、観客は固唾(かたず)をのんだ。

 続く歌舞伎の演目は平仮名盛衰記「源太勘当の場」。源頼朝の臣下の家で、兄と、家督を奪おうする弟が争う人情話に、観客は引き込まれるように見入った。会場後ろで「直会(なおらい)」を繰り広げている男衆たちから時折、「待ってました」など大きな声援が飛んでいた。

奉納上演された山戸能の恋慕の舞
奉納上演された山戸能の恋慕の舞

山五十川歌舞伎の一幕
山五十川歌舞伎の一幕



日付の新しい記事へページを移動する日付の古い記事へ

記事の検索

■ 発行月による検索
年  月 

※年・月を指定し移動ボタンをクリックしてください。
※2005年4月分より検索可能です。

 
■ キーワードによる検索
   

※お探しのキーワードを入力し「検索」ボタンをクリックしてください。
※複数のキーワードを指定する場合は半角スペースを空けてください。

  • ニューストップ
  • 最新記事
  • 戻る
ページの先頭へ

Loading news. please wait...

株式会社 荘内日報社   本社:〒997-0035 山形県鶴岡市馬場町8-29  (私書箱専用〒997-8691) TEL 0235-22-1480
System construction by S-Field