文字サイズ変更



  • プリント用表示
  • 通常画面表示

荘内日報ニュース


日付の新しい記事へページを移動する日付の古い記事へ
  • ニューストップ
  • 最新記事
  • 戻る

2016年(平成28年) 11月25日(金)付紙面より

ツイート

地区の伝統芸能熱演 「山戸能」と「山五十川歌舞伎」

 鶴岡市山五十川の河内神社の「秋祭典」が23日に行われ、集落内の子どもや青年たちが伝統芸能を継承する思いを胸に同地区に伝わる県指定無形民俗文化財の「山戸能」と「山五十川歌舞伎」を奉納した。

 山戸能は、江戸中期の肝煎(きもいり)が書いた記録「当時能事始」によると、866(貞観8)年ごろ、能楽に堪能な人が始めたという。その後、黒川(現・鶴岡市)からの移住者が多くの演目を伝え、そのうちの9番が現在も演じられている。一方、山五十川歌舞伎は、江戸中期の宝永年間(1704―10年)、神事に関する村芝居として始まったとされる。

 現在は山五十川古典芸能保存会の下、山戸能一座(三浦市樹座長)と山五十川歌舞伎一座(尾上菊之丞座長)がそれぞれ伝承している。1つの集落で能と歌舞伎の両方が受け継がれている例は全国でも珍しく、1964年に能、86年には歌舞伎が県無形民俗文化財の指定を受けた。

 この日は山五十川公民館で能と歌舞伎が奉納され、会場の200席はほぼ満席。能の「座揃囃子」で幕開けし、子どもたちによる稚児舞「恋慕の舞」、種をまくような動作の舞が特徴の五穀豊穣(ほうじょう)の祈りを込めた「式三番」、武勇一筋に生きた今井四郎兼平を描いた番能「兼平」と続いた。

 歌舞伎の演目は仙台藩伊達家のお家騒動を題材にした伽羅先代萩(めいぼくせんだいはぎ)の「御殿の場」と「床下の場」。わが子を失った母が悲哀に暮れる場面では、役者の熱演が披露され、観客たちが固唾(かたず)をのんで見守っていた。

 式三番で父親と一緒に舞台に立った三浦尚(なお)君(12)=あつみ小6年=は「3年生から始めて今年が最後。うまくできて良かった。大人になったらまた別の役を演じたい」と話していた。

熱演する地元の名役者たち=「御殿の場」の一場面
熱演する地元の名役者たち=「御殿の場」の一場面



日付の新しい記事へページを移動する日付の古い記事へ

記事の検索

■ 発行月による検索
年  月 

※年・月を指定し移動ボタンをクリックしてください。
※2005年4月分より検索可能です。

 
■ キーワードによる検索
   

※お探しのキーワードを入力し「検索」ボタンをクリックしてください。
※複数のキーワードを指定する場合は半角スペースを空けてください。

  • ニューストップ
  • 最新記事
  • 戻る
ページの先頭へ

Loading news. please wait...

株式会社 荘内日報社   本社:〒997-0035 山形県鶴岡市馬場町8-29  (私書箱専用〒997-8691) TEL 0235-22-1480
System construction by S-Field