2019年(令和1年) 10月27日(日)付紙面より
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鶴岡市下川の龍澤山・善寳寺(五十嵐卓三住職)で26日、東北芸術工科大文化財保存修復研究センターによる五百羅漢像の公開修復が行われた。公開修復は27日も実施。
創建から160年が経過した五百羅漢堂内部に安置される羅漢像など531体に老朽化が進んでいることを受け、同寺の委託を受けた同大が2015年度から取り組む仏像群の現状維持修復事業「五百羅漢像修復プロジェクト」の一環。
26日は、大学側から修復を統括する同大の柿田喜則教授(50)をはじめ、文化財保存修復学科の学生、同センターの研究員らが訪問、五百羅漢堂隣の龍華庵で木像の剥落止めなどの作業を公開した。また会場では、羅漢像の着衣に彩色された文様や、害虫防除対策などをテーマにした学生らの研究もミニ講話で紹介した。この日は午前中から観光客などでにぎわい、北前船にまつわる羅漢堂の由来や、修復作業の工程などの説明を受けながら作業を熱心に観察。「(全仏像群の修復に)20年かかるなんて気の遠くなる作業」などと驚いていた。 秋田県男鹿市から友人グループ8人で観光に訪れた佐藤美香さん(57)は「世代を超えて受け継ぐための意義深い取り組み。修復に当たる方々の熱意にも感動した」と話していた。
同プロジェクトは、これまでに30体が修復完了。本年度分20体の作業が進む。修復と関連した諸研究により、制作者は京都七条仏師で正流仏師31代康朝の弟子に当たる「畑次郎右衛門」を中心とした周辺仏師によるものと確定。柿田教授は「修復を通し、五百羅漢像の背景にある寺や曹洞宗の信仰の伝播、北前船の歴史も伝えられれば」と話した。
2019年(令和1年) 10月27日(日)付紙面より
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往時の賑(にぎ)わいの象徴だった料亭文化を復活させ、酒田の地域振興に役立てようと、地元の経済人が中心になり1990年、「港都振興」を設立しスタートした「酒田舞娘(まいこ)」が30周年の節目を迎え、同市のガーデンパレスみずほで25日夜、節目を祝う「感謝のつどい」が開かれた。集まった約250人を前に、伝統文化を守るため舞娘の保存・育成にこれまで取り組んできた新田嘉一平田牧場グループ会長(舞娘茶屋 相馬樓樓主)は「全員で観光振興に取り組み、酒田、庄内を盛り上げていきたい」と述べた。
遠隔地貿易の主役だった北前船で栄えた港都・酒田は「東の酒田、西の堺」と称されるほどの賑わいを見せ、最盛期を迎えた昭和時代初期には約200人の芸妓(げいぎ)が妍(けん)を競い合っていたという。往時の料亭文化を復活させ、地域活性化につなげようと、新田会長はじめ地元経済人が舞娘制度を誕生させた。
新田会長によると、歌舞伎の先代中村勘九郎(十八代中村勘三郎)さんが酒田を訪問した25年ほど前、舞娘の舞を鑑賞、「この踊りは父、十七代勘三郎がつくったものです。全国でも残っているのはここしかない。踊りを残してください」と感涙し存続を懇願したという。この懇願を受け新田会長は2000年、港都振興が手掛けていた一連の事業を平田牧場で継承していくことを決意し、以来、舞娘は同社の社員として新田会長が樓主を務める相馬樓を拠点に唄や踊り、三味線などの稽古を積み、酒田の粋を披露。近年は「酒田観光交流マイスター」として国内にとどまらず、中国、ロシアなどでもその華やかな舞いで人々を魅了している。
この日は新田会長が「地域の伝統文化を守り、観光で活性化を図りたいという一心でこれまで舞娘を育成してきた。制度をつくった以上、これからも保存・育成に尽くしたい」とあいさつ。加藤鮎子衆院議員、丸山至酒田市長らが祝辞を述べた。
新田会長、舞娘を長年にわたって指導してきた元芸妓の力弥さんに花束が贈られた後、酒田舞娘4人、今年から日本舞踊の稽古を重ねている市内の中高校生7人が華やかな舞を披露。会場では草創期からこれまでの舞娘の歩みをまとめたDVDも上映され、出席者からは「懐かしい」といった声も上がった。