2024年(令和6年) 8月15日(木)付紙面より
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昨年の夏、32歳の天寿を全うした「保護グマ・クロちゃん」の墓ができた。旧朝日村の山中で母親とはぐれた子グマを自分の子どものように愛情を注いできた佐藤八重治さん(81)=鶴岡市上名川=が「1年過ぎた今でも隣県をはじめ東京や愛知、静岡、埼玉から供養に訪れる人が絶えない。その人たちのためにも、きちんとした『形』を残したかった」と石材会社の「石のこばやし」(鶴岡市羽黒町)に製作を依頼した。クロちゃんを埋葬した自宅の裏山には木製の塔婆を立てていたが「これで全国から来る人たちがお墓の前で手を合わせて拝める。心優しい人たちと再会できて、さぞかし天国のクロも喜んでいるだろう」と佐藤さんは話す。
土台を含めた墓の高さは約1・3メートル、幅約1メートル。自然石に月山の稜線(りょうせん)を描き「クロちゃん ありがとう」と刻んだ。今月10日早朝、かわいがってきた佐藤さん夫妻や上名川集落の人たちなど関係者合わせて十数人が参列して一周忌を行い、冥福を祈った。
クロちゃんは雌のツキノワグマ。1991年4月15日、山中で佐藤さんが泣き叫ぶ生後約50日の子グマを見つけ「このままだと死んでしまう」と自宅に連れ帰った。保健所に届け出を済ませ、鉄製の頑丈なおりを製作。大好きなリンゴやハチミツが入った主食のそうめんを与えて育ててきた。
「助けられた子グマのクロちゃんだ」「めっこいの」と見に来た子どもたちや地域住民の間で話題となり一時、取材を申し込むメディアが殺到。全国的に知られるようになった。多くの人たちに愛嬌(あいきょう)を振りまいてきたクロちゃんだが年齢には勝てず、昨年7月1日、看病し続けた佐藤さんにみとられながら静かに息を引き取った。
「長い間、一緒に暮らしてきたから。私にとってクロは大切な家族の一員」と佐藤さん。この1年間、寂しい日が続いたが「あれから一度もクロが夢に出ることはない。私に気を遣っているのか、どうかは分からないが」とほほ笑む。
もっといい共存の形ないか
全国では昨年度、7852頭のツキノワグマが捕獲され、このうち7675頭が捕殺された。これについて佐藤さんは「もちろん人の安全は守らなければならないが、自然界のバランスが崩れないか心配。人間社会と自然界のもっといい共存方法はないものだろうか。複雑な思いがする」と胸の内を明かした。
2024年(令和6年) 8月15日(木)付紙面より
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県立の鶴岡南と鶴岡北を統合して今春開校した中高一貫の致道館高1年生が、夏休み期間を利用して地元企業で一日インターンシップを体験した。
「学校を飛び出して地域や社会とつながる」ことを目的とした取り組みで、鶴南、鶴北でも実施していなかった実践活動。生徒たちから他者と関わる経験を通じて学校では学び得ない多様な価値観に触れてもらい、新たな気付きや視点を見いだしてもらおうと、多様性を意味する「ダイバーシティウィーク」と名付けて実施した。
鶴岡商工会議所の会員企業や鶴岡市、鶴岡サイエンスパークの企業などの協力を得て、今春入学した262人の1年生がリストの中から訪問する事業所を選択。学校側と、生徒たちが希望した事業所とが調整の上、日程を決定。7月25日から8月9日にかけ、計34の事業所に分かれて生徒たちが訪れた。企業は地元のさまざまな製造業やサービス業、建設業、金融機関などのほか、鶴岡市役所、県の機関、裁判所、弁護士事務所など多岐にわたった。
受け入れ企業の一つとなった荘内日報社には5日、伊藤蒼生(あおい)さん(16)=三川中出身、早川陽斐(はるひ)さん(16)=鶴岡二中出身、相馬陸人さん(15)=立川中出身=の3人が訪れた。「報道機関と記者のことを知りたい」「新聞社の『裏側』を見てみたい」といった動機で、本社を選定した3人は、空手道の全国大会に出場する小中学生の現場取材も体験。個別に取材して大会に懸ける意気込みや日頃の練習で心掛けていること、空手道の魅力などを聞き出し、「取材メモ」作りを実体験した。
3人は「新聞製作にはたくさんの人が関わっていることを知った。自宅に毎日届く新聞を大切に読みたいと思った」「その場、その場に合わせて臨機応変に対応するのが記者の取材だと知った」「新聞記者が実際に取材する場面を見て、自分も取材を経験できて良かった」と感想を話した。
各事業所でインターンシップを体験した1年生たちは、体験内容の発表に向けてレポートなどを作成。9月上旬には受け入れ事業所にも参加を呼び掛けて開く発表会を予定している。
2024年(令和6年) 8月15日(木)付紙面より
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山形交響楽団サマーコンサートが12日、遊佐町生涯学習センターで開かれた。飯森範親さんのタクトでベートーベンの交響曲第3番「英雄」などを披露。プロのフルオーケストラメンバーが奏でる絶妙かつ迫力あふれる演奏が、先月の記録的な豪雨で傷ついた被災者らの心に染み入り、ひと時の安らぎを与えた。
町合併70周年記念事業の一環で町と町教育委員会が主催。町内では多くの地区で豪雨被害が発生したこともあって開催の可否を迷ったものの、「音楽は心の栄養剤」「被災者へのすてきな癒やしの時に」などの考えから実行に踏み切った。
町民ら約450人が来場。飯森さんはプレトークで、被災住民らにお見舞いの言葉を掛けた。コンサートは同町ゆかりの作家、故・新井満さん作曲「遥かなる鳥海山」で開幕。2004年生まれの若手ながら数多くの全国大会で1位を獲得している田村咲葉さんがソロを務め、モーツァルト作曲「ヴァイオリン協奏曲第5番」を華麗なテクニックで披露し聴衆を魅了した。
演奏時間約50分という長さがありベートベンの最も重要な作品の一つに数えられる「英雄」の指揮が終わると、ほぼ満員の客席から惜しみない拍手が送られていた。
2024年(令和6年) 8月15日(木)付紙面より
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酒田市本楯地区の空に13日夜、花火が打ち上がった。子どもたちの健やかな成長、同市を襲った先月の記録的大雨による被災地の早期復興など願い、地元のもとたて保育園(阿部明恵園長)が企画したもので、地区住民はじめ市民らはまばゆいきらめきに見入った。
コロナ禍で保育園や地域で行われる行事が相次いで中止となる中、「暗いことばかりの世の中。そんな世の中に明るい光を。子どもたちに素晴らしい思い出を」との願いを込め2020年にスタートした花火大会。今年は本楯コミュニティ振興会、本楯自治会長会と共に、先月の大雨被害からの早期復興を祈念し打ち上げた。
日頃から園児を温かく見守っている地域住民に感謝の気持ちを伝えようと、酒田FMハーバーラジオ(同市)の協力で、午後8時からの打ち上げに合わせ年長児によるメッセージなど特別番組を放送した。
放送は年長児9人による「にじ」の合唱でスタートし同8時10分、県内で唯一、花火製造を手掛ける安藤煙火店(同市)が夜空に大輪を咲かせた。打ち上げは時間にして5分ほど。打ち上がるたびに色鮮やかな花火が辺り一面をこうこうと照らし、地区内各所から歓声が上がっていた。