2013年(平成25年) 12月13日(金)付紙面より
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鶴岡市下山添の八幡神社(佐藤信弘宮司)が所有する戦国武将・最上義光から宛てられた土地の寄進状1通について、調査した山形大人文学部の松尾剛次教授(日本中世史)が原本であることを確認した。山形城主だった義光が、上杉氏に代わって領有した庄内の支配過程が分かる貴重な史料という。
原本と確認された寄進状は、慶長17(1612)年6月4日の日付で、義光の黒印が押されている。下山添八幡神社の流鏑馬(やぶさめ)の神事を担当する役員に宛てられ、「土地を与える。ますます務めに励め」といった内容。
佐藤宮司(61)によると、同時に神社役員に宛てられた義光の寄進状は計6通あったという。明治時代以降に散逸し、いずれも行方が分からなくなっていた。流鏑馬役員への寄進状が、京都の古文書専門店で売りに出されていることを知り、同神社の氏子の寄付で昨年購入した。松尾教授は今回、山形市内の個人宅にある寄進状1通についても、同神社に宛てられたものの原本と確認した。
義光は1600年の関ケ原の戦いの後、上杉氏に代わって庄内を支配した。義光の研究を続ける松尾教授は「黒印や用紙などから義光の書面と確認した。写しではない原本の発見は珍しい。新たな発見だ」と話し、「義光が庄内の新たな領主として支配を強め検地を進めた。その支配が行き渡ったことを示す興味深い史料」とする。
八幡神社の佐藤宮司は「昨年購入した寄進状は、いろんな人の手を煩わせながらもようやく神社に戻ってきたもの。松尾教授によって本物だと分かり、ほっとしている。6通のうち行方が分からない残り4通についても、松尾教授の協力でどこにあるのか探していきたい」と話している。