2019年(令和1年) 10月22日(火)付紙面より
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庄内ゆかりの詩人・茨木のり子の評伝を著したノンフィクション作家・後藤正治さん(72)の講演会が19日、鶴岡市の東北公益文科大大学院ホールで行われた。その詩を愛する「茨木のり子六月の会」(黒羽根洋司代表)が主催したもので、会場は120人の聴講者で埋まった。
後藤さんは9年前評伝「清冽(せいれつ)?詩人茨木のり子の肖像」を出版した。今回来鶴は4度目で、最初は十数年前、藤沢周平関連の仕事で訪れた。「その時も秋でした。素晴らしい稲穂が実り、その奥に出羽三山。しっとりと落ち着いた城下町という印象でした」と語り始めた。
その後、鶴岡市が茨木の8歳年上の夫・三浦安信さんの故郷で、母・勝(かつ)さんが三川町出身ということで、再度庄内を訪れ「いろんな方と知り合った」という。
後藤さんが、その資質として最初に挙げたのは「戦争世代」であること。終戦の1945年はちょうど20歳前後。敗戦とともに日本人の価値観がガラリと変わったことは「やはり見逃せない」という。茨木自らが“軍国少女だった”と語っていることを挙げ、信じていたものが一夜にして変わったことに「悔しさとともに不思議さを感じていたはず」と言い、そうした思いがその後の作品に表れたのではという。
2004年、79歳で死去。夫を亡くして、約30年後だった。子どもはおらず、自宅はダイヤル式の黒電話を使い、ファクスも置かず、出版社との原稿連絡は速達郵便だった。出始めのパソコンも使わなかった。「便利なものを使ってもいいが、人間そのものを救ってくれるわけではない」という気持ちが貫かれ、一人暮らしの寂しさを人一倍持っていたとしても「“愚痴っぽいことは全く言わなかった”とおいっ子さんに聞いた。一人できちっと背筋を伸ばして生きている姿を感じた」といい、その清らかさ、厳しく自らを律していることが評伝の題名「清冽」につながったと明かした。
また映画「たそがれ清兵衛」(山田洋次監督)で真田広之が演じた主人公の物静かで古武士然とした姿と庄内弁に“夫と似ている”と面影を追っていたエピソードを挙げながら、「原作の藤沢さんと茨木さんは生前接点はなかったが、人としてのたたずまい、余韻において2人は重なる感じがして仕方ない」と語っていた。