2024年(令和6年) 6月19日(水)付紙面より
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出羽三山歴史博物館主催の「羽黒山文化財講座」が16日、鶴岡市の羽黒山中の国宝羽黒山五重塔や同山頂の出羽三山神社(阿部良一宮司)の三神合祭殿で行われた。杮(こけら)葺き屋根改修工事中の五重塔では、建物全体の構造について参加者たちが専門家の解説を聞き、工事用足場を上って屋根の形状を見学した。
出羽三山は2016年に「生まれかわりの旅」として日本遺産に登録された。その重要な要素の一つとして、歴史的建造物や伝統文化など文化財がまとまって存在することが挙げられる。今回の講座は、国宝羽黒山五重塔の屋根の葺きや内部の構造、国指定重要文化財の三神合祭殿、鐘楼に触れ、技術や歴史について深く理解してもらおうと同博物館が企画、県建築士会(伊藤彰会長)が後援した。
国内の歴史建造物の研究者や県建築士会の会員企業関係者、一般など約50人が参加。講師は日本建築意匠研究所代表で工学博士、一級建築士の松崎照明さん(東京都在住)が務めた。
午前中は羽黒山頂の合祭殿や斎館、鐘楼などを巡った。午後は五重塔前で松崎さんによる塔の特徴についての解説に耳を傾けた。
松崎さんは「羽黒山五重塔は室町時代前期の1378年に建立された。同時期に建立された広島県の明王院五重塔と比較すると、羽黒山の塔は屋根の傾斜が優しく緩やか。積雪による屋根へのダメージを考えると、大雪が降る地域でこれほど緩やかなのはなぜか」と参加者へ問いを投げ掛けた。
さらに「薄い板を何枚も重ねる葺き屋根をはじめ最上部の相輪(金物)は小さく、建物の幅が細い。装飾が全くない“純和様”で伝統的な手法が用いられている。地方独特のオリジナリティーは用いられず洗練された都様式の造りを考えると、当時から羽黒山と中央のつながりが深かったと思われる。緩やかで曲線が美しい屋根など京風の建築デザインに加え、杉林に包まれた景観と塔のたたずまいが万人の心を感動させるのだろう」と解説した。
その後、屋根改修工事を担当している市村工務店(本社・山形市)社員の案内で、修繕中の1、2層の屋根部分を見学。緩やかに反り返った傾斜を眺め、納得したような表情を浮かべていた。
講座に参加した県建築士会の伊藤会長は「羽黒山五重塔の構造を見られるまたとない機会で、多くの会員が参加してくれた。松崎先生の講話を聞き、20年ほどの短い期間で屋根の改修が必要になる理由が納得できた。今後も歴史的価値の高い建造物を守っていかなければならないと改めて感じた」と話していた。
2024年(令和6年) 6月19日(水)付紙面より
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鶴岡市の国際交流センター「出羽庄内国際村」が開設30周年を迎え、記念イベントでは外国人によるのど自慢大会も好評だった。地方都市も国際色豊かになったということだが、その陰で人知れずに忘れ去られようとしている文化財もある。南米アマゾンの2万点を超す貴重な民族資料だ。
出羽庄内国際村に併設されていた「アマゾン民族館」が2014年3月に閉館して10年。市の行財政改革の一環という、いわば費用対効果という面からやむなく閉館したとも言え、併せて文化財の活用方法はどうあるべきかを、あらためて考えさせられる。
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「雪国になぜアマゾンが?」という疑問も湧く。それらは、鶴岡市の文化人類学研究者、山口吉彦さんが半生をかけて収集した民族資料ばかり。出羽庄内国際村開設の中心施設として、「貴重な資料を通じて子どもに夢を」と、市の肝いりでアマゾン民族館は開設された。資料の維持管理は、入場料収入だけでは賄えず、税負担も伴った。折からの旧民主党政権下で、事業仕分けと称した行財政改革を背景に、市議会の審議を経ての閉館だった。
山口さんが現地人と一緒に生活した信頼関係で入手した資料もある。絶滅の恐れがある野生動植物の国際取引を規制するワシントン条約で入手できないものもある。閉館後、山口さんは自宅を改造するなどして保存・管理に当たっているが、何しろ資料が膨大で個人の資力では限界がある。
鶴岡市出身の作家、藤沢周平さんがエッセー『立ちどまる絵』(「ふるさとへ廻る六部は」)で、次のようなことを書いている。東京の名園・六義園 (りくぎえん)を見て「昔の大名は贅沢(ぜいたく)なものだったと思いながら園内を歩き、金と権力がないと残らない文化というものもあると感じた」と。六義園は江戸幕府の権力者の中屋敷の庭園として、財をいとわずに造られたのだろうか。対するアマゾン民族資料は、「金と権力」とは無縁の、個人の乏しい資力で収集したものばかりだ。そこにこそ資料の意義がある。
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南米アマゾンは森林の乱開発が進み、住民の生活環境の変化から伝統の文化財も失われている。鶴岡市は食文化創造都市を内外に発信する一方、出羽三山信仰とサムライゆかりのシルク、加茂地区の北前船寄港地・船主集落が日本遺産に認定されている。そうした中で、アマゾンという異文化を守るという事も、鶴岡市の「文化度」を発信することにならなかったのだろうか。
アマゾン民族館は「個人のコレクション的な物」に市が財政負担するのはいかがなものかという考えなどでの閉館だ。文化財を単に「費用対効果」で価値判断することなく、学校教育の一環という人づくりのために活用することはできなかったものか。それでこそ国際交流センターの機能も、より生きることになるのではないか。