2024年(令和6年) 9月11日(水)付紙面より
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食べ物をかむ力、飲み込む力が弱くなった人のための「嚥下(えんげ)食」について飲食店や宿泊業の関係者などが学ぶ「ハレの日嚥下食・調理セミナー」が9日、鶴岡市総合保健福祉センターにこふるで開かれた。来年2月まで4回にわたる研修会を通し、鶴岡市内で嚥下食を提供できる飲食店や宿泊施設の増加を目指す。
鶴岡食材を使った嚥下食を考える研究会が主催し、2018年ごろから毎年開催。同会は会員7店舗で嚥下食を提供しており、鶴岡食文化創造都市推進協議会と協力して市内で嚥下食が提供可能な飲食店、宿泊施設の増加を図っている。
この日は本年度のセミナーの1回目で、市内の飲食店や旅館の調理担当者や観光関連団体関係者など約15人が参加。初めに研究会の共同代表の一人で鶴岡協立リハビリテーション病院言語聴覚士の田口充さんが座学で嚥下障害と嚥下食の基本について解説した。
この中で田口さんは「人間は食道と気管の入り口がほぼ同じところ。口腔(こうくう)内に食べ物が残ったり、飲み込むタイミングがずれて気管に食べ物が入り込んだりと、『食べること』の一連の流れで発生するのが嚥下障害」と説明。
さらに「高齢などによる嚥下機能の低下に合わせて食事の物性や形態を調整することで、口腔内の食物残留の軽減や誤嚥(ごえん)、窒息を防ぐことができる。具体的には水分がなくパサパサしたもの、口腔内に張り付きやすい食べ物より『柔らかい』『まとまりやすい』『ベタつかない』食べ物が嚥下食に向いている」と話した。
続いて研究会共同代表で管理栄養士の足達香さんが講師を、同じく共同代表でうしお荘支配人の延味克士さんが調理を担当し、嚥下食の実食が行われた。「焼き豆腐」や「スクランブルエッグ」「豚の角煮」など20品目を一口ずつ参加者から実際に食べてもらい、嚥下食に向いているか、向いていないか判断してもらった。
このうちスクランブルエッグは火の加減を調節してほろほろとしたものと、ねっとりした食感の2種類を用意。足達さんが「ねっとりしたものの方が飲み込みやすく、嚥下食に向いている」と解説した。また、豚の角煮は一般的に調理したものと、延味さんが工夫を凝らして舌で押しつぶせるほど柔らかいものが出され、柔らかい方の食べやすさに参加者たちは驚きの表情を浮かべていた。
延味さんは「嚥下障害を持っている人からも食を楽しんでもらえるよう、嚥下食を提供できる飲食店や宿泊施設をさらに増やしたい。そうした環境の整備も食文化創造都市・鶴岡の役目だと思う」と話していた。
第2回セミナーは11月18日(月)に同施設で行われ、嚥下食に必要な「とろみ」や凝固剤を使ったごま豆腐などについて学ぶ。
2024年(令和6年) 9月11日(水)付紙面より
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鶴岡市立加茂水族館(奥泉和也館長)のリニューアルオープン10周年を記念して「さかなクン」=東京海洋大学名誉博士、画家=が描いたイラストが同水族館に展示されている。
10周年記念イベントは7月31日に荘銀タクト鶴岡でさかなクンをゲストに招いて開いた。イラストはその時に描いたものでクラゲやミジンコ、自身を見立てたハコフグをモチーフに「10周年おめでとうギョざいます」とメッセージを添えている。イラストはポスター大の3点。大水槽のクラゲシアター近くの通路に掲示している。
訪れた人たちは「本当にさかなクンって絵が上手」「どれもかわいらしいね」と記念に携帯のカメラに収めていた。しばらくの間、展示している。
2024年(令和6年) 9月11日(水)付紙面より
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被災者の食事を体感してもらおうと鶴岡市教育委員会は管内38小中学校の児童・生徒に「防災給食」を実施した。
鶴岡市の大山小学校(生田弥恵校長、児童293人)で9日に行われた防災給食では、全校児童が5カ月間保存できるレトルトパックの五目ご飯(290グラム、403キロカロリー)と食物繊維が取れる野菜ジュースを味わった。
佐藤真帆さん(6年)は「レトルトなので普通の五目ご飯と味は同じ。とてもおいしかった。被災者の方は、いつもこういう食事を取っているのだろうな、と想像した」と感想を話した。
同校の教諭は「電気、ガス、水道がすべて止まってもすぐ食べられるのが防災給食。普段の温かい給食や各家庭の食事のありがたさに感謝しましょう」と呼び掛けた。
9月1日の「防災の日」に合わせて市教委が全小中学校の児童・生徒約9400食分(教職員含む)を用意した。市学校給食センターの担当者は「万が一の災害対応の一つとして防災給食を備蓄するか検討課題に挙げたい」と語った。
2024年(令和6年) 9月11日(水)付紙面より
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人が減る事は、そのまま文化の継承に響くということを突き付けられる思いだ。同時に、何とかして将来に残すことはできないものかとも。鶴岡市温海地域の戸沢地区に伝わる「戸沢花胡蝶歌舞伎」が、今年8月の公演を最後に幕を閉じた。「歌舞伎にこだわっていては“村社会”の存続にまで影響する。先人たちに申し訳ないが区切りをつけたい」という、苦渋の選択からだ。
社寺仏閣や美術工芸品などの「有形文化財」と異なり、民俗芸能のように人手があってこそ成り立つ「無形文化財」は、人間そのものが「文化財」となって代々継承されてきた。一つの出し物を演じるには役者や裏方まで大勢が関わる。人口減少はそうした「技」の継承を難しくしている。
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戸沢花胡蝶歌舞伎の起源は定かでない。隣の集落で約300年前から伝承されている山五十川歌舞伎とほぼ同じ歴史があるとされ、現存する台本には江戸後期の弘化元(1844)年の演目もある。素朴な芝居だが、お盆に合わせて例年8月16日に演じられることで「供養歌舞伎」とも呼ばれる。自治会が人から人へと“手渡し”のようにして受け継いできた。
農耕民族の日本での伝統行事・芸能は、神を敬い収穫の感謝を表す神事として受け継がれているものが多い。そうした中で、戸沢花胡蝶歌舞伎は、座長を失って解散した旅の歌舞伎一座の道具が同地区に残され、住民が受け継いで歌舞伎を演じるようになったという説、戸沢地区に隠れ住んだ平家の落人の供養で演じられたなどの起源説があるが、はっきりしない。
戸沢地区は61世帯、約170人が住んでいる山間集落。同地区の戸沢花胡蝶歌舞伎は「太閤記」「義経千本桜」「源平盛衰記」など60を超す演目を受け継いできた。芸だけでなく、衣装や小道具などの維持管理も容易なことではない。小さな集落ではそれらに要する費用を賄うことも課題であったと思われる。そして何よりも人手である。
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文化が、時代の流れとともに少しずつしきたりや形態を変えながら受け継がれる事は受け入れられる。しかし、担い手がいないことで将来への継承を閉じなければならなくなった。最後の公演の折、「先人や諸先輩に休演することを心からおわびする」という自治会長の言葉に、地元の無念さが凝縮されている。
伝統文化を受け継ぐ。他地域からの応援を得るような、関係人口を確保することで伝統を維持しているケースもある。戸沢花胡蝶歌舞伎はコロナ禍で休止し、5年ぶりの公演になったが、休止の間も住民は伝統の維持を心掛けてきたに違いない。人が減ることは、これまでの地道な努力までも消し去ってしまう。一集落の財産としてでなく、市全体の財産として受け継いでいくような方法を探れないものだろうか。