2019年(令和1年) 10月19日(土)付紙面より
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17日に東京都内のホテルで行われたプロ野球新人選手選択(ドラフト)会議で、酒田南高3年の伊藤海斗外野手(18)=187センチ、88キロ、左投左打=が巨人から6位指名された。同校出身者のドラフト指名は、中日から2016年に3位指名された石垣雅海内野手以来。
伊藤外野手は遊佐町出身。遊佐中を経て17年4月に酒田南に入学して1年秋からレギュラーとして活躍、2年秋からは主将としてチームをけん引してきた。高校通算36本塁打を誇る長打力が魅力。
この日は午後5時から同校会議室で野球部員、同級生ら100人余がドラフトのインターネット中継を見守った。同7時ごろ、「読売、伊藤海斗」とアナウンスされると会場内は「やったー」の声が響き渡った。中原浩子校長、鈴木剛監督と共に会見に臨んだ伊藤外野手は満面の笑みを浮かべ、「小さい時からの夢がかなった。覚悟を持って調子が悪い時でも、信念を持ってしっかりとバットを振りたい。野球人口が減少する中、子どもたちに夢を与えられる選手になりたい」と抱負を述べた。目標とする選手に関して「巨人の丸佳浩外野手。広角に打ち分けられる打者になりたい」と。巨人の印象は「今シーズンもリーグ優勝した、とても強いチーム」と語った。
これまで指導に当たってきた鈴木監督は「指名を受けてほっとした。甲子園出場はかなわなかったが、主将として自分のやるべきことをしっかりとやってくれた」と話し、「形にはまらない、人がワクワクするようなパフォーマンスを発揮する選手。東北を背負える選手になってほしい。同じ遊佐出身者として応援し続けたい」と続けた。
2019年(令和1年) 10月19日(土)付紙面より
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国交正常化前の1972年1月に初めて訪問して以来、長年にわたって中国と友誼(ゆうぎ)を重ねてきた新田嘉一平田牧場グループ会長が17日、中国共産党中央委員会機関紙「人民日報」の劉軍国日本支局長の取材を受けた。中国成立70周年を記念した同紙特集企画の一つで、新田会長は「近隣同士、これからも仲良く」と訴えた。
新田会長が初めて中国を訪問したのは、当時の田中角栄首相が電撃訪中し、周恩来首相と国交回復の調印を交わす8カ月前。民間人として正常化前の訪中は異例中の異例だった。
新田会長はその後、畜産技術指導のため88年、黒龍江省に招かれた。さらに同省政府と渡り合い、92年には飼料用トウモロコシ運搬のため同省ハルビン市から松花江、アムール川、日本海を経て酒田港に至る全長2800キロの「東方水上シルクロード」を開設した。
一方、同省「ハルビン国際貿易商談会」の発展に大きな貢献があったとして2009年、当時、省長を務めていた、習近平国家主席の側近中の側近とされる栗戦書氏(全国人民代表大会常務委員長)から同省「功勲章」を受けた。先月には中国・大連市との交流発展に貢献したとして同市が制定する特別賞「アカシア友誼賞」を受賞、張志宏副市長から記念プレートが贈られた。
今年5月まで歴代最長の9年3カ月にわたって駐日中国大使を務めた程永華氏とは懇意。後任の孔鉉佑氏とも既に都内で懇談した。
劉支局長はこの日、中国駐新潟総領事館の殷達奇副総領事、徐文領事アタッシェとともに酒田市の平田牧場迎賓館「寄暢亭」を訪問した。
劉支局長は冒頭、「取材するチャンスを頂き、ありがとうございます」と。新田会長は初めての訪中、東方水上シルクロードの開設や、栗氏、中国・河南省出身の画家・黄冑氏(1925―97年)はじめ中国の要人とのエピソードを紹介し、「米国にも負けない、今や世界の大国。いずれ中国の時代が来ると思っていたが、こんなに早く来るとは思わなかった」と述べ、「中国の人たちは信義に篤い。交わした約束は必ず守り、最後まで絶対に裏切らない。心が残っている民族」と続けた。
「これからの中国に期待することは」と問われ、新田会長は「ここまで来たのだから世界のリーダーになってほしい。近隣同士、心を合わせ仲良くしていきましょう」と強調した。
劉支局長によると、取材を基にした特集企画は年内の掲載を予定しているという。