2024年(令和6年) 10月22日(火)付紙面より
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太平洋戦争時、インド北東部での「インパール作戦」に軍医として従軍した故関場一男さん(享年69)の長男で、ミャンマーで医療協力などを行っている医師・関場慶博さん(74)=青森県藤崎町、せきばクリニック院長=が庄内町を訪れ19日、同町の乗慶寺(阿部伸世住職)で、同作戦で指揮を執った旧余目町出身の佐藤幸徳中将(1893―1959年)の墓参を行った。慶博さんは「父だけでなく多くの人の命を救った立派な人」と感慨深げに語った。
ようやく父の恩人に会えた ミャンマーへ医療支援続ける
インパール作戦は1944年1月、当時英国が支配していたインド北東部攻略のため旧日本軍が進軍した作戦。佐藤中将は第31師団を指揮。戦況悪化による補給物資の不足から飢餓や赤痢、マラリアなどで苦しむ将兵を救うため、司令部の命令に死刑覚悟で抗命。師団全軍の撤退を決断し、約1万人超の日本兵の命を救った。同作戦に旧日本軍は3個師団約10万人が参加。戦死者は約3万2000人超といわれ、その多くが餓死だった。
一男さんは医師となって間もなく召集され、歩兵第58連隊に配属。その後、大陸に渡り第31師団の軍医中尉としてインパール作戦に参加した。一時捕虜となりながらも帰国。宮城県を経て、青森県の進駐軍病院に赴任した後に開業した。一男さんは生前、慶博さんに戦時中のことをあまり語らなかったが、晩年「生き延びることができたのは、撤退を英断した佐藤中将と、かくまってくれたミャンマーの農民のおかげ」と話していたという。
慶博さんは一男さんと同じ医療の道に進み、小児科医として活躍する傍ら、2015年からミャンマーの日本人慰霊碑を訪問。父を救ってくれた人々への恩返しのため、ポリオワクチンの接種活動や貧困層の子どもたちの診療活動など医療協力を行っている。今年に入り、大学時代の先輩で医師の黒羽根洋司さん(77)=鶴岡市錦町=から佐藤中将の墓が庄内町にあることを聞き墓参を決めた。
この日は関係者と共に慶博さんが同寺を訪れ、雨の中、墓前に花を手向けて静かに手を合わせた。墓参を終えた慶博さんは「ようやく父の恩人に会うことができ、よく行ってきてくれたと喜んでくれるのでは。父との約束だと思っているので、今後も体が動く限りはミャンマーへの医療支援を続けていきたい」と決意を新たにしていた。