2005年(平成17年) 12月26日(月)付紙面より
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25日午後7時15分ごろ、庄内町榎木のJR羽越本線砂越―北余目間で、秋田発新潟行き上り特急「いなほ14号」(6両編成)=鈴木高司運転士(29)=が脱線、前の3両が横倒しとなり、土手下に転落し乗客4人が死亡、運転士ら33人が重軽傷を負い、病院に収容された。事故当時、現場付近は強風が吹いており、突風で車体が浮いて脱線した可能性が高いとみられる。国土交通省の航空・鉄道事故調査委員会は26日午前、現地で調査を開始した。
死亡したのは秋田市新屋松美町、無職、畠山祐紀さん(51)と新潟県長岡市宮本町、保育士、浮部真裕美さん(22)。秋田県にかほ市平沢、会社員、畠山学さん(42)。残る1人は秋田市内の30代の男性とみられており、庄内署で確認を急いでいる。
いなほ14号は最上川に架かる最上川鉄橋を通過後、北余目駅の約300メートル手前で脱線、前の3両が転覆し、土手から転落した。事故当時43人の乗客が列車に乗っていたとみられる。車両内に残された乗客の救出作業が行われ、けがをした33人が庄内余目病院、県立日本海病院、市立酒田病院に収容され、手当てを受けた。
先頭車両の6号車は脱線、転覆後、線路東側のたい肥小屋に突っこんだ。救助作業が進む中で、6号車の前部分に男女4人が閉じこめられていることが判明。夜を徹した救助作業が行われたが、4人はいずれも遺体で収容された。
地吹雪に見舞われる厳しい気象条件の下で救助作業は難航し、最後に残った男性は事故発生から約14時間後の26日午前9時すぎに救出されたが、約1時間後に死亡が確認された。
庄内署の調べに対し、鈴木運転士は「突風で車両が浮いた感じがした」と供述している。
酒田測候所によると、庄内地方には事故発生当時、暴風雪、波浪の両警報が発令され、事故発生の直前とみられる同日午後7時12分には酒田市内で21・6メートルの瞬間風速が観測された。
JR新潟支社によると、風が強い庄内町の現場付近は同社の早目規制区間に位置づけられ、風速20メートルで速度規制、25メートルで運転中止とする規定がある。脱線現場から930メートル離れた地点に設置されている風速計は事故前後の25日7時10分から20分までの風速は5―20メートルだった。
いなほ14号は、雪の影響で酒田駅を1時間8分遅れの25日午後7時8分に出発していた。
事故から一夜明けた26日午前、国土交通省の航空・鉄道事故調査委員会のメンバー5人が現場に到着し、現地で事故原因について調査を始めた。
一方、県警は26日未明、事故原因を究明するため庄内署に捜査本部を設置した。同日午後には業務上過失致死傷の適用も視野に、現場検証を行っている。
26日午前は県警などによる実況見分が行われた。