2007年(平成19年) 12月9日(日)付紙面より
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庄内浜の魚食文化に精通した「庄内浜文化伝道師」を認定するための実技試験が8日、酒田市総合文化センターで開かれ、県内の一般男女がマダラを使った料理づくりに挑戦した。
この認定制度は、庄内浜で捕れる魚介類や、その調理方法、文化について精通した人を認定するもので、県庄内総合支庁が庄内浜で捕れる魚介類の「地産地消」を文化的側面から推進しようと、本年度初めて制定した。先月17日に酒田市の県庄内総合支庁水産課で行われた講習会と一次選考会には、県内外の33人が参加。同支庁の「食の都庄内」親善大使になっているレストラン欅(酒田市)の太田政宏総料理長や、旅館坂本屋(鶴岡市三瀬)の石塚亮さんらの講話で庄内浜の魚食文化について学んだ後、筆記試験で32人が合格した。
この日の実技試験には32人のうち、実技試験を免除されてすでに伝道師の認定が決まっている調理師免許所有者10人と、辞退者1人を除く21人が参加。制限時間1時間でマダラを使い得意料理を作った。太田さんや石塚さん、県漁協関係者ら6人が魚をさばく技術、味、盛り付け方などを審査。
受験者たちは鮮魚店関係者や主婦などで、「みんなプロ級」(太田さん)という鮮やかな包丁さばきでマダラ1本を手際よくさばいた。そして、ドンガラ汁やソテー、赤ネギとの蒸し物、すり鉢でつみれ状にしてから焼いたものなど、思い思いの料理を作っていた。
水産課の担当者は「認定者には、料理教室の講師などで、庄内の魚のおいしさを広めてもらいたい。来年も実施する」と話していた。
合格者には今月14日、三川町の県庄内総合支庁で認定証が授与される。
「庄内浜文化伝道師」の実技試験に取り組む受験者
2007年(平成19年) 12月9日(日)付紙面より
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昭和30年代まで東北一円で広く栽培されていた遊佐町生まれのもち米「彦太郎糯(もち)」を使った丸もちがデビューした。町内の若手農家たちが、姿を消して久しいもち米の復活プロジェクトに取り組んで3年目で商品化にこぎつけた。有名百貨店のギフトにも取り上げられ、「町の特産にしたい」と張り切っている。
彦太郎糯は、旧高瀬村(現遊佐町高瀬地区)の民間育種家・常田彦吉が大正時代、当時の代表的なもち米「山寺糯」の変種を見つけ、4年がかりで開発した大品種。屋号にちなみ彦太郎糯と名付けられた。冷害に強く収量も多いという利点から、1935年から60年までは本県の奨励品種だった。
ピーク時には県内の作付量の5割を占め、東北全域でも栽培された。しかし、背丈が高く倒伏しやすいという欠点があり、次第に農家に敬遠され、60年代以降は遊佐町でも栽培されなくなった。
町の先人が育種した在来品種に東京都出身で2001年に同町に移住、就農した齋藤武さん(33)=白井新田=と山形大農学部在学中に古代米復活を手がけた伊藤大介さん(27)=小原田=が着目。一昨年10月、鶴岡市の県農業生産技術試験場庄内支場が品種保存用に栽培していた種子を譲り受け、栽培に着手した。
自らの取り組みを「お帰り、彦太郎糯。」プロジェクトと命名。昨年は10アール作付けし、秋に彦太郎糯で作ったもちを町民に試食してもらった。彦太郎糯を覚えていた年配者からは「懐かしい味だ」と歓迎の声で迎えられた。
今年は作付けを10倍以上の1・2ヘクタールに拡大。倒伏防止に向けて植え付ける密度を「はえぬき」の半分程度に抑えて根の張りをよくし、肥料を最少限にとどめ「鍛える」ことで風に負けない強い稲を育てるような工夫を施した。池田正和さん(27)=豊岡=、友野重則さん(23)=同=の2人が仲間に加わり、栽培グループ名を「ままくぅ」と決めた。
この秋は10アール当たり300キロとまずまずの収量を確保することができた。加工した丸もちを道の駅「ふらっと」などで販売を開始。今年1月に都内で開いた試食会に参加した百貨店や和菓子店からも引き合いがきた。
彦太郎糯の魅力について齋藤さんは「特有の強い香りが焼いたときにこくを与える。引っ張ると30センチも伸びたというほどのびがよい」と話す。今後について「酒田市の酒田女鶴のような知名度がないので、これから浸透させていきたい。生まれがはっきりしているので物語があり、町の人にも誇りを感じてもらえるのでは」と期待している。
丸もちは10個入り750円(税込み)で販売。赤い古代米のもち米を加えた紫色の丸もちとのセットや、精米した彦太郎糯(1キロ700円)も販売している。齋藤さんは「最初はシンプルに何も付けず焼いたままを食べて香りを味わってほしい」と話す。問い合わせは齋藤農場=電0234(71)2313=へ。
もち米の彦太郎糯を使った丸もちの箱詰め作業に精を出す「ままくぅ」のメンバー