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荘内日報ニュース


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2008年(平成20年) 2月9日(土)付紙面より

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ある「イサバ」の一代 下

楽しかった檀家との交流

 「毎日のセリは、欲と欲のせめぎ合い。戦争だった」―。鶴岡市鼠ケ関の五十嵐富美恵さん(89)はそう振り返る。

 藤島での行商を終え、鼠ケ関に戻るのは昼すぎ。休む間もなく家庭用のわずかばかりの畑仕事、海が穏やかな時はアオサなどの海藻採り。子供の世話をする間もなく、午後5時には夕食も食べず戦場(漁協のセリ)に向かう。仲買人の権利はイサバになって3年目に得た。保証人を頼み、3万円の保証金を納めた。商売上の信用、支払いが滞ることがないかも、審査された。

 セリに参加するイサバは約50人。いい魚を安く仕入れるため、魚に注ぐ視線はだれもが鋭くなる。「これぞ」と狙いを付けた魚には、ほかのイサバも目星を付けている。競争相手の表情、仕草、視線を探り、木製の入札板(横30センチ、縦20センチ)に素早く値段を書き込んで出す。一瞬の緊張感が走る時だ。セリは最初は高いが、買い手がつかないときは安値になる。より有利に(安く)仕入れたいと、セリが終わるギリギリまで粘る毎日だった。

 セリの最中も、頭では仕入れた量と仕入れ値から小売値を暗算している。「ソロバンなんかはじいていたら、ほかのイサバに負けてしまう。あまりもうけず、損もせず、兼ね合いが難しかった」。素早い暗算力は今も変わらない。

 「家に帰るのは午後8時から9時。遅い夕食を食べ、風呂に入る。子供のこと、明日の行商の下準備もして床に着くが、じきに起床時の午前2時半になった」

 荷を背負って雪道を歩き、藤島で檀家を開拓した。荷車からパンクしないゴム製タイヤのリヤカーに替えたのは、10年たってから。顔なじみの檀家が日中は空いている車庫を貸してくれた。駅周辺で商売した後、遠方の檀家へ。藤島では「せきさん」のニックネームで呼ばれた。「鼠ケ関」の「関」で、「せきさん」だ。田川地方では「鼠ケ関」のことを「関」と略して呼んでいたせいかもしれない。

 引退は87歳の正月。「始めも終わりも区切りがいい正月にした」。毎年の健康診断で医者から「悪いところがないのは、ばばちゃんだけだ」と言われる。老眼鏡なしで新聞を読む。「まだまだ働きたかった。カネのためではない。待っている檀家との語らいが楽しかったのだが、娘たちの泣かれながらの説得に折れた」。今も藤島の檀家から電話があるとつい長話になる。もらった手紙も大事にしまっている。

 今の楽しみのひとつはピアノを弾くこと。広告チラシの裏面に演歌、童謡の歌詞を書いて綴(と)じている。歌詞の下に音譜替わりの数字を書き添える。「ドは1」「レは2」「ミは3」「ファは4」……。勉強好きは、小学校で習ったことが頭に刻み込まれている。
 「あまりおがしげなごと、新聞さ書ぐなよ」。五十嵐さんは、人々の食卓を支えたイサバ一代のひとこまを、楽しげに語った。(粕谷昭二)

 メモ 「山形県魚介類行商取締条例」(1955年制定)に基づく庄内の行商人登録者は07度で59人。実働していないイサバが多くなり、保冷設備を備えたトラックで行商するケースが増えている。リヤカーを引いての、昔ながらのイサバは、鶴岡市内で10人ほどになった。

 行商人登録は一代限り。リヤカーを引いての行商では、同条例の基準を満たすには厳しく、新規に始めることはまず無理になった。

行商帰りの列車内で談笑するイサバたち。左奥が五十嵐さん=提供
行商帰りの列車内で談笑するイサバたち。左奥が五十嵐さん=提供


2008年(平成20年) 2月9日(土)付紙面より

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アルミ缶200キロ集めたよ 朝暘三小 回収活動で車いす寄贈

 鶴岡市の朝暘第三小学校(三浦愼士校長、児童734人)は児童たちが集めたアルミ缶で車いす1台を購入し7日、鶴岡市茅原町の老人保健施設「のぞみの園」(佐藤忠芳施設長)に寄贈した。

 同校では昨年度からボランティア活動の一環としてアルミ缶の回収活動を行い、同施設に車いすを寄贈している。今回は、同校でボランティア活動を推進する「わかば委員会」が中心となり、回収強調週間などを5回ほど設定し、全校児童に協力を呼び掛け、アルミ缶約200キロを集めた。それを市内のリサイクルセンターを通じて換金するなどして車いすを購入した。

 この日は委員の児童約20人がのぞみの園を訪れた。委員長の富樫伸久君(6年)が「どうぞ皆さんで使ってください」とあいさつし、施設利用者代表に車いすを贈呈。その後、児童たちは利用者と一緒にけん玉やこま回しをするなどして交流を深めた。
          
          

富樫君(右)が車いす1台を贈呈した
富樫君(右)が車いす1台を贈呈した


2008年(平成20年) 2月9日(土)付紙面より

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黒森歌舞伎受け継ごう 台本「解説書」使い出前授業 小学生が今年の演目学ぶ

 黒森歌舞伎(県指定無形民俗文化財)の正月公演(15、17日)を前に、地元の酒田市立黒森小学校(大泉則昭校長、児童64人)で7日、同歌舞伎の勉強会が開かれ、4―6年生が今年の公演演目「<近江源氏先陣館(おうみげんじせんじんやかた)八段目・盛綱陣屋の場」の背景やあらすじなどを学んだ。

 黒森歌舞伎を演じる妻堂連中(佐藤進一座長)は本年度から3カ年、東日本鉄道文化財団の助成を受けて演舞場の改修や後継者育成などの事業に取り組んでいる。その一環でこのほど、今年の演目の台本の解説書が製作され、同書を使った勉強会が企画された。
 この日は、解説書を執筆した元黒森小校長、田村國雄さん(65)=同市松原南、市史編さん委員=が講師となり、4―6年生34人に授業を行った。

 田村さんは、黒森歌舞伎が約270年前から男性だけによる野郎歌舞伎の伝統を受け継いでいる歴史を紹介、「全国に誇れる。伝統ある歌舞伎を絶やさないで」と訴えた。

 また、「近江源氏…」については、大坂冬の陣で真田信幸、幸村兄弟が敵味方に分かれて戦った話を、徳川幕府に遠慮して鎌倉時代の話に置き換えて書かれたなど背景を説明。「主人公が主君への義理を取るか、肉親への情を取るか、苦しむシーンは、表情の変化だけで演じる難しい演技」と、見どころを解説した。

 子供たちは「これまで本歌舞伎はせりふが難しくて分からなかったが、内容を教えてもらったので、見たいと思った」など感想を述べた。

 解説書は小学生にも分かりやすいように、台本の原文(古語)にルビを振り、口語訳を添えたもので、黒森小に寄贈された。

 正月公演は15、17の両日とも、黒森の日枝神社境内の演舞場で、午前10時から少年太鼓や神事、正午から少年歌舞伎、午後1時から本狂言「近江源氏…」が行われる。

 ◇近江源氏先陣館・八段目盛綱陣屋の場

 鎌倉方と京方に分かれて戦う佐々木盛綱、高綱兄弟を中心とする物語。戦場で高綱の子・小四郎を生け捕りにした盛綱は、「弟は子への愛に迷い、思い切った戦いができないだろう」と、盛綱の母・微妙に小四郎を殺すように頼む。

 微妙はわが孫に自害を迫るが、果たせずにいると、「高綱を捕らえた」との報が入る。盛綱の主君・北条時政がやってきて、盛綱に高綱の首をあらためさせようとしたとき、小四郎が「ととさま、さぞ口惜しかろ」と飛び出し、自害する。盛綱が首をあらためると、本物でなく、実は、小四郎が命を捨てて首が本物であるかのような芝居をしたことを悟る。その思いに打たれた盛綱は、主君に「弟の首に相違ない」と告げ、主君を裏切った義ふんから、自分も自害の決意をする。

田村さん(左)から歌舞伎の話を聞く黒森小児童
田村さん(左)から歌舞伎の話を聞く黒森小児童



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