2008年(平成20年) 3月13日(木)付紙面より
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根空きのドラマ 小山 浩正
3月の声を聴くと、春が一段と待ち遠しくなりませんか? 春を探しに森に行きましょう。
森で春の訪れが一番早いのは樹の根元です。ここだけは、やけに早く雪が解け始めて、ぽっかりと筒状にへこんでいるのをよく見かけます。このへこんだ部分のことを「根空き」と呼ぶそうです。雪の専門家である農学部の小野寺教授が教えてくれました。根空きが迎える早い春は、どうやら森の生き物にとってもありがたいようです。
山形大学に赴任したばかりのころ、私は当時3年生だった石井健君とよくブナ林を歩いたものです。あれは、もう雪が完全に消えた初夏のある日のこと。種(たね)や芽生(めば)えの研究が専門なので、私はうつむきがちに歩く癖があるのですが、この日はその視線の先に奇妙な現象を見つけました。ブナの若木がブナの親木の周りに限って見当たらないのです。私たちがよく行く櫛引のブナ林は、地表にびっしりと若木が茂っているのですが、気がついてみると根元だけはどこも不思議と若木がありません。石井君と私の思索の旅はこんな些細な発見から始まりました。もしかしたら、これは春の根空きと関係するのではないかと直感したわけです。
ブナの種は山のネズミにとって貴重な栄養源で、種が落ちる秋にネズミは必死に食べます。しかし、山の秋は短く、やがて深い雪が森を埋め尽くすようになると、ネズミたちが餌探しに苦労する季節が始まります。しばらくの間、彼らはひもじさに耐えなければなりません。長い試練の時を経て、やっと春の気配を感じるころ、幹の周りに根空きができて隠れていた地表の種が顔を出したらどうでしょう。飢えたネズミたちにはパラダイスとしか思えないはずです。狭い根空きにある種は一心不乱に食べ尽くされてしまうので、そこだけ夏の芽生えがないのも当然です。
石井君は、これを確かめるために相当に面倒な実験を始めました。まず、根空きにブナの種を置き、まだ雪が残っている場所にも種を埋めました。雪が無くなるのを待って調べると、やはり根空きの方だけ種は見事に無くなっていたのです。ネズミが食べたに違いありません。念のため、根空きにカメラを設置してみると、ちゃんとネズミが写っていました。これがプリントされてきた時には、二人で抱き合わんばかりに喜んだものです。私たちの小さな発見は、「日本のブナはなぜ豪雪地帯に多いか?」という昔からの壮大な疑問にネズミと雪がかかわっていることを明らかにしたのです。
石井君は今、栃木にある環境関係の会社で働いています。奇しくも今年はネズミ年。「先生、今の仕事も楽しいですよ」と書かれた年賀状が、根空きを探すネズミのイラストとともに届きました。元気な便りは何よりも励みになります。そして、庄内にまた春が来て、私たちは今年も卒業生を見送る季節を迎えます。
(山形大学農学部准教授、専門はブナ林をはじめとする生態学)
根空きのブナ。国道112号月山第二トンネル付近で=2001年5月5日、自然写真家・斎藤政広撮影
2008年(平成20年) 3月13日(木)付紙面より
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財団法人伝統文化活性化国民協会(平山郁夫会長・理事長)の本年度地域伝統文化功労者に、鶴岡市温海地域の山戸地区に伝わる山五十川歌舞伎の伝承活動に尽力している三浦和男さん(64)=鶴岡市山五十川=が選ばれ、11日県庁で、表彰状の伝達が行われた。2002年度に始まった表彰制度で、県内からの受賞は初めて。
同協会は、全国各地の伝統文化活動の支援を通じて日本文化の向上に寄与することを目的とした文部科学省所管の公益法人。地域の伝統文化の振興に大きく貢献した人を功労者として表彰しているもので、本年度は全国の23個人・団体が受賞した。
三浦さんは、高校卒業後、山五十川歌舞伎の役者として多くの役をこなす傍ら、後継者の育成に尽力。三浦さんの熱心な活動から地域ぐるみの伝統芸能の伝承活動がさらに盛んになり、同地区に伝わる山戸能の伝承と合わせた山五十川古典芸能保存会が設立され、1970年には同保存会が齋藤茂吉文化賞を受賞した。
これまでに、同保存会の会長、歌舞伎一座の座長などを務め、現在も保存会の評議員として伝承活動に携わり、小中学校への指導も定期的に行っている。山五十川歌舞伎、山戸能とも県の無形民俗文化財に指定されている。
伝達式で、山口常夫県教育長が表彰状を手渡し、三浦さんの功績をたたえた。
地域伝統文化功労者表彰を県内で初めて受賞した三浦さん
2008年(平成20年) 3月13日(木)付紙面より
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庄内藩士の視点から薩摩藩・西郷隆盛や戊辰戦争など江戸から明治の激動をとらえた徳永健生さん(鹿児島市在住)の小説「尋問の筋これあり候」(リブリオ出版)が発刊された。
物語は、戊辰戦争での庄内藩士たちの戦い、庄内藩に寛大な処置を施した西郷をはじめ薩摩藩士と庄内藩士の心の交流を軸に進む。西郷の教えに共感し薩摩の私塾で学び、西南戦争に従軍した若い旧庄内藩士の子弟・伴兼之、榊原政治の2人の一途ないきざま、庄内藩の重鎮・菅実秀の思い、西郷の国家論の真意などがつづられている。
著者の徳永さんは、鹿児島県立図書館館長を務め、日本文藝家協会員。西郷の墓所で郷里の方向である北を向いて建つ2つの墓石に眠る伴、榊原に興味をもった。鶴岡市を何度も訪れるとともに、鹿児島、庄内の膨大な参考文献をもとに、庄内からみた西郷像、「信義」を貫いた心の交流を通し明治初期の地方にあって、新しい生き方を模索し続けた人々の姿を描いた。
徳永さんから同書の謹呈を受けた旧庄内藩主酒井家18代当主の酒井忠久さんは「庄内からみた西郷像という視点が面白い。伴、榊原の少年たちの新しい国のことを思う純粋な気持ちが描かれており、明治初期の庄内を知る上でぜひ読んでいただきたい」と話す。致道博物館などで販売する予定。
B6版、338ページ。1800円(税別)。問い合わせは同博物館=電0235(22)1199=、リブリオ出版=電03(3943)8885=へ。
「尋問の筋これあり候」を紹介する酒井さん