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2008年(平成20年) 4月15日(火)付紙面より

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清正公の墓碑訪ねて 熊本から訪問団来鶴

 熊本市の熊本城本丸にある加藤神社(湯田榮弘宮司)の氏子でつくる同神社崇敬会と、肥後清正公忠廣公顕彰会(荒木章博会長)のメンバーが12日、鶴岡市丸岡の天澤寺を訪問し、戦国武将・加藤清正公の墓碑などを見学した。

 加藤神社は智・仁・勇を備えた加藤清正公を主祭神に祭っており、築城など国づくりに関して大きな功績を挙げた清正公を奉る人々が崇敬会を結成した。

 顕彰会は以前、熊本になかったが、崇敬会関係者などが丸岡地区の荘内清正公忠廣公遺蹟顕彰会(松浦安雄会長)と交流を重ねる中で、4年ほど前に創設した。

 今回、一行は加藤清正公ゆかりの地訪問を企画。今月10日に熊本を出発し、愛知県名古屋市で清正公誕生の地・妙行寺などを訪れた。11日に東京都内で清正公の江戸屋敷跡などを回り、同日夕に来庄した。

 12日は鶴岡市内で善寳寺や荘内神社を回った後、丸岡地区を訪問。忠廣公の屋敷跡や、天澤寺境内で清正公の遺骨が納められているとされる五輪塔覆堂などを見学した。続いて同寺内で庄司良円住職から参拝の心のあり方など講話を聞いた。

 その後、丸岡コミュニティセンターに移動して地元の荘内清正公忠廣公遺蹟顕彰会と交流を重ねた。一行は13日に出羽三山神社を訪問した後、帰途についた。
          

加藤清正公の遺骨が眠るとされる天澤寺を見学する熊本の訪問団のメンバー
加藤清正公の遺骨が眠るとされる天澤寺を見学する熊本の訪問団のメンバー


2008年(平成20年) 4月15日(火)付紙面より

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マス流し網漁船出港 家族や関係者に見送られて

 日本海の春の味覚を食卓に運ぶ酒田市の酒田港所属の日本海マス流し網漁船が14日、同港を出港した。唯一の漁船となった「第38正徳丸」(佐藤長悦朗船長)は、家族や漁業関係者らに見送られ、サクラマスを追ってまずは飛島沖に向かった。

 マス流し網は、ピーク時には庄内浜の「ドル箱漁」と呼ばれていた。1977年施行の200カイリ漁業水域法と領海法による漁業水域規制に、乗組員不足なども加わり出漁漁船、漁獲量とも減り続けた。同港所属の流し網漁船はピークの1960年代前半には30隻ほどが出漁していたが、2004年からは1隻だけになった。

 県漁業協同組合によると、今年のカラフトマスの1隻当たりの漁獲割り当ては55トン。当初は今月11日に出港する予定だったが、しけが続きこの日になったという。

 この日はあいにくの雨降りの中、同港東ふ頭に停泊中の同船甲板や岸壁で、乗組員や漁業関係者、イカ釣り漁を学ぶために来日しているインドネシアからの漁業研修生ら計約50人が豊漁と安全を祈願し乾杯した後、午前10時前、汽笛を鳴らしながら離岸。見送る人たちは船が見えなくなるまで手を振り続けていた。

 同船は6月下旬までの操業期間中、前半は飛島沖のほか、粟島や佐渡島付近でサクラマス、後半は日本海を北上してカラフトマスを追う。県漁協では「マス流し網漁は山形が発祥の地。酒田港からの出港はここ数年、1隻だけと寂しくなったが、伝統あるこの漁法を守り続けていかなければ」と話していた。
          

マス流し網漁船が酒田港を出発した      
マス流し網漁船が酒田港を出発した      



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